唯物論研究協会の意見表明

日本社会の大きな方向転換を憂慮する

2003年6月 唯物論研究協会委員会

 21世紀に入って以降、世界は、底知れぬ未来への不安を駆り立てるような状況になっている。9/11のニューヨーク他の米国へのテロ、それに報復する形で始まったアフガニスタンへの攻撃、さらには続いてのイラクへの一方的な攻撃などは、やはり現代帝国主義によって増幅されてきたイスラエルとパレスチナとの報復と破壊のくり返しと並んで、21世紀という時代が、暴力と戦争を日常茶飯事としかねないような、恐るべき時代になるのではないかと不安を募らせるものである。
 しかし、問題は国外政治にとどまらない。イラク戦争に際して、国民の強い戦争反対の声にもかかわらず、アメリカへの支持を明らかにしイラク攻撃に関与した小泉政府は、今国会において、さらに、危険な法案を次々に通して、私たちの生活の仕組みそのものをまるで変えてしまおうとしている。それは、教育や性の自己決定権にかかわる問題から始まり、戦争体制の確立を目指す有事法制に至るまで、生活の全領域にわたるものである。
 一方では、「心のノート」や教育基本法の根本的な改訂案に象徴的に見られるように、若い世代が自分の力で、判断し、自分たちの力で支えあえる人間関係をつくり、平和な社会の担い手として文化を創りうる主人公を作り上げるような教育改革ではなく、政府や上からの要請に積極的に応じる人間像の確立が目指されている。今日、教育の現場においては、与えられた情報や考え方を無批判に受け入れて、その処理を如何に効率よくやるのかといった面が追求されており、子どもたちの自主的な批判能力の衰退が心配されている。それを補うかのように「心」の管理や愛国心が大きく叫ばれるようになっており、君が代、日の丸の事実上の強制とも結びついて、中央統制がますます強まっている。
 さらに、国立大学の独立行政法人化は、既にさまざまな方面から批判されているように、実際には、国家権力や官僚による大学のコントロールを強める非民主的なものであり、研究や教育活動を近視眼的な業績主義や儲け主義に従属したものにしかねない非常に深刻で危険なものである。これらの動きは、研究者や国民の一人一人の自発性を引き出す方向によってではなく、身分を不安定にし、研究の条件や職を失う恐怖心をバネに、人参をつり下げられてむち打たれる馬のような生き方を迫っているかのごときである。
 また、今国会は、派遣労働規制を緩和する法案を可決したように、もはや終身雇用の崩壊だけでなく、正規雇用による労働者の権利の確保も徐々に崩され、労働市場全体が不安定さを増すような状況が助長されつつあり、それが若者の雇用不安やフリーター志向を生んでいることは、今日の大きな問題である。また、健康の維持等を個人の自己責任とし、医療などからの公的責任の大幅後退を法制化した健康増進法の施行、さらには、女性の生殖の自己決定権を否定しかねないような少子化社会対策基本法の提出なども、現代日本の根幹を危うくする動きである。
 そうしたことの総仕上げのように、個人情報保護法案なる事実上の報道規制法案とも結びついて、有事法制法案が可決されたことは、日本がいよいよ本格的に戦争への体制を作り上げたという不安と心配を拭えない。現在の動きは、日本の戦後社会を支えてきた憲法第9条の空洞化にとどまらず、核開発や拉致問題に関わる北朝鮮の動向を餌に、戦争準備を整え、好戦的雰囲気を醸成するような状況を生みだしている。そして、こうした国会の内外を巡る動きが、また、日本経済の深刻な不況をかえって深刻化するにすぎないものでありながら、多国籍企業や日本社会の上層には有利な構造改革という名の経済政策、さらには新自由主義政策全般と一体化していることも、平和で安定した日本社会への志向を踏みにじっている。
 私たち唯物論研究協会委員会は、このような全体としての流れが、学問研究や教育の自由で豊かな発達を生み出すどころか、逆に、日本社会を暴力と戦争の道へと進めていると考えており、次世代を担う若い人々の可能性を奪うものと考える。日本が世界の平和の牽引車的な役割を積極的にすすめ、戦争に代わる新しい社会・文化の担い手を創っていくことは、21世紀日本の最も大きな課題のはずである。唯物論研究協会委員会は、そのような社会・文化を作り上げることを大切に考えており、したがって、今国会で成立・上程されたような一連の危険な改革案とこれに追随する日本社会全体の諸動向に対して、多大の危惧を抱いている。同時に、唯物論研究協会委員会は、そうした諸動向に根本から対抗する意志を表明するものである。

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