研 究 大 会

シンポジウム:平和に生活できるということ――国家・市場と教育基本法

10月23日14:30〜18:00
2階 F-202

報告:佐貫 浩(法政大学)
 「教基法」改訂による教育関係の構造転換
池谷 壽夫(日本福祉大学)
 教育基本法の光と影――教育基本法制定当時の「オールド・リベラリスト」の思想および教育刷新委員会での議論を中心に
石井 潔(静岡大学)
 陳腐なナショナリズムあるいは普遍主義なきグローバリゼーションについて
司会:後藤 道夫(都留文科大学)

シンポジウム趣意書

 海外で戦争できる国家体制づくりが急である。だが、日本でも国家だけが暴力化しているわけではない。日々の生活に暴力が浸透することを防いできた、無数の規範と人間関係の質、および将来の自分の生活への展望は目に見えて崩れ始めた。企業社会によるスポイルと腐敗のはてに、多くの子ども・青年の希望と努力を拒否する新たな階層社会が、新自由主義改革の名で到来したのである。
 下層の青年たちのある種の「動物化」は、絶望の自覚を回避するための無意識の戦略である。昔流の言い方をすれば、「平和に生活できる」社会と人間関係の質を取り戻すことは「社会変革」の水準の課題となったのだと思われる。

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 このシンポジウムでは、現在の生活と国家の暴力化の動向、原因について吟味しながら、同時に、これまで生活と国家の暴力化を防いできた、生活の質、社会の質、政治の質などについてある種の再認識・再評価を試みたい。その際、議論の拡散を防ぐために、共通の議論材料として、改正の動きが激しい教育基本法をとりあげることとした。主張されている改正点はいまだ拡散気味だが、戦後教育体制の大改革のシンボルとなることは疑いなく、また憲法改正につらなる戦後の政治・社会枠組みの巨大な改編の一部であることも明らかであろう。

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 教育基本法が想定する人間観、社会観、教育観(教師観)は、生活と国家の今日的暴力化とその前史にたいして、どのような防波堤となりえていたのか、あるいは、どの部分でなりえていなかったのか。教育基本法が平和の価値を非常に重視したこと、学校教育法と教育公務員特例法などとあわせて、学校教育にたいする国家の内容的統制に歯止めをかける理念をもっていたこと、これらにたいする評価はおおむね共通している。しかし、一元的能力主義の人間観や学力競争の激化、市場原理主義などにたいする規制力という点はどうか。また、逆に、教育基本法、教育公務員特例法などの戦後枠組みの下で、学校の企業化をめざす今日の教育改革は徹底できるのか。総じて、教育基本法は国家と市場にたいして、どのような規制力を内蔵していたのか。

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 シンポジウムを通じ、新自由主義改革と大国化が急進行する今日の時点で、私たちが積極的に擁護すべき価値と政策理念を戦後民主主義からどのようなかたちで継承するのか、各自の考えが深められるように議論したい。

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