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研究大会

2023.11.18

第46回総会・研究大会(立命館大学)

日程:2023年11月18日(土)~19日(日)
会場:立命館大学びわこ・くさつキャンパス

第1日

テーマ別セッション(10:00~12:00)

○環境思想部会

エコフェミニズム類型の再考ーヴァンダナ・シヴァを手がかりにー笠原恵美(東京農工大学大学院)

総会(13:30~14:50)

テーマ別分科会(15:00~18:00)

第1分科会「ケアを問う」

「ヤングケアラー」問題の社会的構築のゆくえ―ケアラー支援の射程と課題―斎藤真緒(立命館大学)
障害のある子どものケアと学校教育河合隆平(東京都立大学)
司会:丸山啓史(京都教育大学)

 本報告は、近年児童福祉分野で政治的アジェンダとなっている「ヤングケアラー」が、どのような社会問題として構築されているかを分析すると同時に、家族による自助が強調される日本においていかにケアラー支援を構想しうるかを問うものである。
 報告者は、2017 年から、「子ども・若者ケアラーの実態にかかわる事例検討会」を続けており、2021 年には「子ども・若者ケアラーの声を届けようプロジェクト Young Carers Action Research Project」を立ち上げ、当事者参画型アクションリサーチに取り組んできた。2022 年には、「ケアラー支援条例を作ろう!ネットワーク京都」を立ち上げ、ボトムアップ型のケアラー支援条例の制定をめざす市民運動にかかわっている。本報告では、こうした研究実践活動を踏まえ、昨今のヤングケアラー「ブーム」にかかわる問題点を検討しながら、今後必要となる研究上の論点を整理したい。

1. 「ヤングケアラー」の社会問題化

 「ヤングケアラー」は、法令上の定義は存在しないが、「本来大人が担うと想定されているような家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども」(こども家庭庁 HP)と定義されている。政府は、2021 年、経済財政運営の指針「骨太の方針」に初めてヤングケアラー支援を明記し、早期発見や相談支援体制の強化などの支援方針を提示した。現在は、「こども家庭庁」が司令塔となり、ヤングケアラー支援が省庁横断的に取り組まれることになっている。「教育振興基本計画」(2023 年 6 月)のほか、2024年度の介護保険事業の基本指針にもヤングケアラー支援が明記された。

2. ヤングケアラーとは誰を指すのか―「子ども/大人」という二分法の陥穽

 ヤングケアラーが政治アジェンダ化されたことの成果は、「ケアラー」という言葉の社会への浸透である。高齢者介護のみならず、家庭内の多様なケアにかかわる存在を可視化すると同時に、介護/看護/育児といった従来の福祉サービスの分断を超えうる可能性が広がった。他方で、前述した日本の定義は、子ども=保護・救済の対象、大人=自己責任という新たな分断を生み出す可能性を包含していることに注視する必要がある。そもそも「ケアラー」とはどんな存在なのか。「支援」とは何か。今やヤングケアラーという言葉は、「かわいそうな子ども」というラベルと化し、支援の場面による対象の選別過程において、しばしば「不幸比べ」が生じている。

3. 家族ケア責任と「家族まるごと支援」のはざまで

 報告では、当事者主権という時代の潮流において、ケアラー支援を問うことの意味を考える。その際、ケアラー支援の先進国とされるイギリスでの、法制化過程における議論を参照したい。イギリスでは、障害児の親をはじめとする成人ケアラー(adult carer)の存在と支援ニーズが社会的に承認され、そのサブカテゴリーとして、ヤングケアラーにかかわる特殊なニーズが追記されるという構図になっている。ヤングケアラーだけが世間の耳目を集めている日本とは対照的である。
 イギリスでは、ヤングケアラーに関する調査研究が本格化した際に、障害学からのケアラー支援に対する批判が生じた。ケアを必要とする本人への支援とケアラー支援との関係性を問うことは、社会保障財源の抑制を口実とする、公的サービスの縮小が続く日本においていかなる意味をもつのか。また、イギリスのヤングケアラー支援では、「家族まるごと支援 whole family approach(以下 WFA)」という考え方が明記されている。WFA は、家族を単位とするがゆえに、家族の一体性を強化され、特定の家族像の固定化につながる危険性があるという指摘があるが、同時に、家族内の異なるニーズの可視化と、家族の相対化・距離化を可能にもする。家族単位による相互扶助が重視される日本において、WFA はどのように具体化しうるのか。

4. ケアフルな社会構想のために

 個人・家族によるケアが美化・強調される社会にあっては、ケアは、負担やリスクとなり、それをできるだけ最小化する方向に向かうだろう。2022 年 12 月に、北海道の知的障碍者施設において、結婚や同居を望んだ利用者に不妊処置を提示していた問題も記憶に新しい。人が生きていく以上、命を支えるケアという営みはなくならない。まさに「エッセンシャル」なのだ。ケアを、負担という次元にのみフォーカスし支援策を講じることは、ケアの本質を見誤ってしまうのではないか。命そのものを何よりも尊重し、命を支えるケアという営みを社会の中核に据えてこそ、持続可能な社会が構想できるのではないのだろうか。ヤングケアラーをめぐる問題を、子どもに特化した社会的リスクの問題とするのか、ケアにかかわるあらゆる人の権利の問題とするのか。ヤングケアラーの政治アジェンダ化の行方は、ケアにかかわる社会構想のひとつの試金石になるだろう。

 子どもの貧困問題の深刻化と広がりのなかで、子どもの障害と貧困や生活・養育困難の密接な関連性を実証する研究も進んでおり、子どもに障害がある場合、貧困家庭一般に比べて貧困を解決していく契機や時機にも格差がもたらされやすく、貧困が常態化しやすい構造が明らかにされてきた。障害のある子どもの貧困や生活・養育困難に対して、学校はどのように対応してきたかといえば、個々の教員の感度や認識によって幅があり、個人的努力に依拠するところが大きく、組織的に対応されているわけではない。

 本報告では、子どもの貧困と教育をめぐる全体状況を共有しつつ、障害のある子どもに固有なケアと学校教育の課題を検討したい。障害のある子どもの「特別なケアへの権利」の内実と「他の者との平等」(障害者権利条約)を確保するための教育条件を考えてみたい。

 障害のある子どもにとって、保護者によるケアは親子関係の構築や保護者の障害受容などを含めて発達的・教育的に重要な意味をもつし、子どもの成長・発達を通じて保護者が養育の手応えや生活の喜びを得ていくことを支援するのも教育の役割のひとつである。しかし現在の学校では、従来のように保護者の負担・分担を前提として教育指導が展開しにくい状況が広がりつつある。特別支援学校では過大・過密化が進み、スクールバス乗車や給食の提供、寄宿舎への入舎が制限されることで、保護者の私的負担が生じやすくなり、学校内部で貧困や生活・養育困難のある子どもたちが排除されやすい構造が生まれている。

 あらためて考えるべきは、保護者の負担・協力である。通常学校でも教育活動への保護者の負担・協力が求められることがある。しかし、特別支援学校の保護者には子どもの教育指導のある部分を分担することが日常的かつ長期的に求められる。通常に比べて障害のある子どもの学校教育は、保護者の負担・協力を見込んで成立している部分が多い。たとえば、特別支援学校にはスクールバスが配車されているが、希望者全員が乗車できる学校もあれば、通学距離や学部により乗車を制限する学校もある。スクールバスを利用しながら、公共交通機関による自主通学に切り替えていく通学指導も、家庭と連携して取り組まれている。自治体や学校によってスクーバスの運用は異なっているが、通学は保護者の責任という認識が前提となっている。とりわけ、人工呼吸器を装着したり、乗車中に吸引等の医療的ケアが必要な子どもは、スクールバスに看護師の乗車が認められないことから、保護者による自家用車等での「命がけ」の通学・送迎を強いられている。

 コロナ禍において学校の福祉的機能があらためて注目されたが、特別支援学校の福祉的機能は「オプション」や福祉の「代替」として付加されたものではなく、教育の機会均等の理念にもとづき、障害のある子どもにもひとしく教育を保障するために不可欠のものとして要求され制度化されてきた。その過程では教育の外部にある福祉や医療の役割・機能を教育実践の文脈で再構成しながら学校制度に取り込むことで、教育条件を拡充させてきた。たとえば、東京都の肢体不自由養護学校「介助員」制度も、当初は保護者の介助負担の軽減を目的としたが、やがて教育職として身分確立が要求され、複数担任制へと発展していったように、障害の重い子どもを受けとめるに必要な教育的機能を高めることにつながった。ところが、今日、特別支援学校では福祉や医療との連携がいわれるなか、学校の教育的機能の矮小化と福祉的機能の縮減が進んでいる。

 障害のある子どものケアを考えるうえで、何よりも特別支援学校の既存の教育・福祉的機能を拡充させることで、すべての保護者の私的負担を徹底して縮小していく必要がある。家庭の状況にかかわらず、すべての子どもが排除されることのない学校生活の基盤を用意し、安心して学習活動に参加できることが基本である。学校が子どもの発達と権利を保障する公的責任を中核で負うべきであるとして、障害のある子どもの貧困や生活・養育困難の問題の解決を、もっぱら学校や教師の努力に委ねるには限界があるけれども、子どもと日々直接かかわる教師自らが、必要に応じて学校外の家庭や地域における子どもの生活実態にアクセスできる仕組みが欠かせないし、子どもへの日常的なケアや配慮をふまえて、学校だからこそ保障できる学習や活動を構想する必要がある。そうした教育実践を支える社会的条件を明らかにすることは、職業自立一辺倒で社会適応をめざす教育を相対化し、学校卒業後も貧困や生活困難に陥りやすく排除されやすい障害のある大人たちの生活と労働を保障する社会をつくり出すことにも通じるはずである。

第2分科会「スポーツ振興と都市(再)開発を考えるー京都府立植物園・北山エリアの開発を事例として」

京都府による植物園・北山エリア開発計画の問題点と市民・住民運動鰺坂学(同志社大学名誉教授、なからぎの森の会共同代表)
府大アリーナ計画で見えてきた大学の課題北山エリアを考える府大学生有志の会
北山エリア「3大学アリーナ構想」とポスト「オリ・パラ」のスポーツ政策棚山研(羽衣国際大学)
都市(再)開発と「スポーツ」はグッドマリアージュ?!:ボイコフの「祝賀便乗型資本主義(Celebration Capitalism)」から考える市井吉興(立命館大学)
司会:大河内泰樹(京都大学)
1. 北山エリア

 北山エリアとは、京都府がこの開発計画でこの地に付けた「ニックネーム」である。の地域は1918(大正7)年に市域拡大のために京都市に編入された市街地北部地域である。市の都市計画による区画整理事業により、郊外住宅地の形成が図られるとともに府立農林学校と農業試験場が移転して京都府立大学の前身となり、さらにこの北西隣の賀茂川沿いの土地 24 ヘクタールを京都府が買収し、1924(大正 13)年に日本で初めての公立植物園が作られた。
 この府立植物園や府立大学の東南側に広がる左京区下鴨地域は、戦前より都心の商人層、大学教員や芸術家の住む地域となった(片木篤ほか 2000)。高度成長期にはこの地の北側の北区上賀茂地域にも住宅地が広がり、1981 年に市営地下鉄「北山駅」ができ、京都駅まで 16 分の利便性の良い郊外地域となった。それにより、新しい「おしゃれな」商店街も形成され、90 年頃のバブル期には地価が高騰し、市内有数の高級住宅地ともいわれた。
 府立大学の農場があった土地に、1963 年には京都府立総合資料館(2017年に京都学・歴彩館として隣地に新築移転)、2002 年に京都市立コンサートホール、2010 年には府立陶板名画の庭が建設され、京都市内でも有数の文教地域の一つとなっている。

2. 日本で最初の公立植物園

 植物園は日本で最初の公立植物園として三井同族会の寄付等も得て開園され、日本有数の総合植物園となり、多くの市民・府民に愛されてきた。植物園には第一の危機があった。1946年10月に園は米占領軍の家族用住宅地として接収された。米軍は園の7 割以上の樹木を伐採し、多くの草花を廃棄した。府民の返還運動もあって 1957 年に日本に返還され、1961年に「府立植物園」として再建された。
 植物園は、様々な機能・目的をもっている。府市民にとって、植物園は憩いの場所であり、草花や樹木や自然環境を学び、貴重な植物を育てる場所といわれる。一般の都市公園や緑地帯・テーマパークとも違うのは、植物園は植物のことを学ぶという社会教育機能を持つ施設であり、「生きた植物の博物館」であるという点である。

3. 植物園の第二の危機:京都府による開発計画

 2020 年 12 月に京都府は「北山エリア整備基本計画」を発表した。キーワードは「躍動する祝祭空間」で、植物園や府立大学などとの境界をなくし、人々が自由に行き来できる回遊空間である。そして、植物園の垣根を取り払って周辺に商業施設やレストラン・ホテルなどを作り、さらに府立大学(学生総数2000余人)内に老朽化している体育館の代替として1万人規模の商業アリーナを建設し、旧総合資料跡地にはシアター・コンプレックスとホテルなどが入るにぎわい施設を建設する計画である。行政による自治体所有地やコモンズの商業地化という動きは、東京の神宮外苑の再開発にも見られるように全国的に広がっている。

4. 基本計画に抗する市民・住民の動きと前進

この計画に異議を申し立てる市民運動・住民運動が生じている。まず 2021 年 1 月に全国の植物園・植物専門家等が声をあげ、続いて近隣の住民が 3 つの運動団体を形成して署名活動等を行ってきた。さらに当事者の一方である京都府立大学の関係者も運動に参加して、以下のような共同した運動や異議申し立てが続いている。

  1. 6つの運動団体による開発反対の宣伝、植物園を守る署名運動(総計で約 16 万筆)
    さらに、府立大学関係者によるアリーナ反対の署名運動(1 万筆を超)
  2. 府立植物園の前元園長等による「植物園を守りたい」という記者会見
  3. 京都府内外の知識人・文化人・ジャーナリストの新聞等での意見表明
  4. 京都新聞への意見広告(2023 年 1 月 6 日)、テレビ・ラジオでの意見表明
  5. 京都府立植物園大好きの方の陰に陽にの援助
  6. 府立植物園職員による 20 回を超えるプロジェクト会議⇒「見直し案」に結実

これらの運動に対する全国的な共鳴、京都や植物園を愛する方々の声や、2023 年 8月現在での 16 万筆近くの署名の力もあって、2 月に京都府は植物園開発の「見直し案」出した。これは私たちの要望の 7・8割が反映されており、一定の評価ができる案であった。

5. 開発計画の背景と今後

開発計画の背景は以下である。

  1. 公共の用地を開発資本(企業)が、PFI(Private Finance Initiative)という手法を使って、お金儲けに利用しようとする動きがある。
  2. スポーツ庁がスタジアムやアリーナ(イベント施設)を、スポーツ振興の名の下に、儲かる施設として開発しようとする動きである。
  3. これらに京都府(元国土交通省出身の知事)や京都市が加担して、開発計画を推進しようとしている。また、この基本計画を描いたのは、KPMG(本部はロンドン)という多国籍企業の日本支社:KPMG ジャパン(在東京)である。

市民運動は今年の3月以降、府立大学内の1万人規模のアリーナ建設の見直しと老朽体育館・校舎の早期建て替え、府立総合資料館跡地の開発については市民・住民との話し合いの場を持つようにと申し入れている。最終目標は「北山エリア整備基本計画」白紙撤回であり、府との対峙は続いている。

 政府の方針であるスポーツ産業の推進は、経済産業省とスポーツ庁の「スタジアム・アリーナ改革」として具体化され、様々な都道府県でその実現が目指されている。京都府も「北山エリア整備基本計画」の一環として京都府立大学に大規模なアリーナを建てる構想を発表した。しかし京都府立大学下鴨キャンパスには、そのような大規模アリーナが建てられる余地はない。もしもそのような規模のアリーナを建てるとすれば、学生が課外活動で日常的に使っている施設の取り壊しが必要になる。京都府は新しく建てられる大規模アリーナを「学生利用を大前提に」進めていくとしている。しかし大規模なアリーナは国際大会やイベントに利用しなければ維持管理が難しい。ここで「学生の課外活動保障と大規模イベントは両立できるのか」という問題が出てくる。

 また、この 2 つの機能が両立できなかった場合、学生の課外活動と大規模イベントのどちらが優先されるのだろうか。スタジアム・アリーナ改革が発表された後、大学設置基準の課外活動を行う場所設置の規定が「原則設置」から「必要に応じて設置」に緩和された。全国でスタジアム・アリーナの増設が目指される一方で、学生の課外活動は軽視される傾向がある。国が進めるスポーツ産業のためなら学生の課外活動が制限されることは仕方がないのだろうか。大学生が課外活動をすることの意義が問われている。

 少なくとも京都府立大学には、「北山エリア整備基本計画」の中で構想されたような規模のアリーナは必要ない。北山エリア整備基本計画は現在、学生や地域住民の運動とそれによって集められた 16 万筆を超える署名、学生対象に行ったアンケートなどによって、もとのスケジュールから大幅に実行が遅れている。大学体育館が老朽化しているため今後はアリーナ構想を見直し、学生が安全に活動できる体育館に建て替える必要があるが、京都府は府立大学のアリーナ構想をそのままにし、別の場所に大規模アリーナを建てる姿勢を見せている。学生にはこれからも「学生のための体育館」を求めて運動を続けることが求められている。

 東京オリンピック・パラリンピック(以下、東京オリ・パラ)が終わり早や2年が経過し、スポーツ政策は昨年 3 月のスポーツ庁「スポーツ基本計画(第 3 期)」(以下、第 3 期基本計画)策定をはじめ、次なるステージに進んでいる。とはいえ、第3期基本計画は東京オリパラの汚職問題が明らかになる前に策定されたものであり、直前の第 2 期基本計画の総括も不十分なままで政策を引き継いだものに過ぎない。2020年9月26付『京都民報』で「府立大敷地内に1万人規模アリーナ構想 老朽化体育館、大学施設の耐震化遅れは放置」(以下、アリーナ構想)と報じた一連の問題も第2期基本計画の政策に沿ったものといえる。

 東京オリ・パラ終了後もスポーツ庁の予算は 2023 年度 359 億円と過去最高を更新し続けているが、長期的には減額していくものと予想される。第 2 期基本計画では、「人口減少、財政難等によりスポーツ施設数の減少が見込まれ」、地方公共団体は「施設の長寿命化,有効活用及び集約化・複合化等を推進しスポーツ施設のストックの適正化」を行い、「スポーツ施設の新改築,運営方法の見直しにあたり、コンセッションをはじめとした PPP/PFI 等の民間活力により,柔軟な管理運営や,スポーツ施設の魅力や収益力の向上による持続的なスポーツ環境の確保」を図ることとされていた。

 この観点からアリーナ構想を見ていくと、当初から PPP(Public Private Partnership官民連携の一種)の導入が表明されていて、府有地に民間企業が建設発注し、完成した建物を企業が所有(府=大学ではない!)、その運営を府または企業が行うこととなっている。「施設の利用用途・利用方法の想定」を見ると「興行利用(スポーツイベント・音楽イベント)」が 52 日、さらに「大学利用」と「一般貸出」(運営企業のスポーツ教室等か?)が同数の 155 日と複雑な運営を想定しており、企業側がオペレーションする可能性が極めて高いと思われる。

 そして、3大学(京都府立大学、京都府立医科大学、京都工芸繊維大学)の体育館機能をメインアリーナとサブアリーナの2つに集約し、メインは事業収益を上げ、大学の利用はサブに集中、老朽化・耐震未整備施設は廃止する。この方向性は安倍内閣の「インフラ長寿命化基本計画」(2013年)やスポーツ庁「スポーツ施設のストック適正化ガイドライン」(2018 年)に沿っている。

 また、第2期基本計画では「スポーツ市場を拡大し、その収益をスポーツ環境の拡大に還元し、スポーツ参画人口の拡大につなげるという好循環を生み出すことにより、スポーツ市場規模5.5兆円を2020年までに 10 兆円、25 年までに 15 兆円に拡大することを目指す」と述べていて、第 3 期基本計画にも引き継がれている。この「スポーツ市場 15 兆円計画」はアベノミクスの「日本再興戦略 2016」で初めて掲げられたが、その政策に沿ってアリーナ構想では収益力向上の点で、特にバスケットボールB リーグ「京都ハンナリーズ」のホーム移転に期待を寄せている。しかし、京都ハンナリーズの集客力は B リーグでも下位にあり、22-23 年シーズンで京都市体育館(西京極)で 2700 人/1 試合と、アリーナ構想の「5 千人~1 万人収容」にはおぼつかない状況である。

 プロスポーツを招致する場合、その動員力はスポーツ施設の運営を大きく左右する。北九州市では、やはり官民連携の PFI 方式で「ミクニワールドスタジアム北九州」が 2017 年に建てられた。しかし、ここをホームスタジアムとする J リーグ「ギラヴァンツ北九州」の戦績と観客動員の不調によって、運営費用1億5千万円に対し初年度は1億円の赤字となり、それが市の負担となった(『毎日』2017年12月4日付)。その後も実績が好転しているといえない。他にも、官民連携でプロスポーツ公式戦やイベント招致などを試算して建設・運営したものの、成功とはいえない公共スポーツ施設は少なくない。

 また、大学施設がプロスポーツのホームとなった先行例として、青山学院大学「青山学院記念館」でのBリーグ「サンロッカーズ渋谷」のケースがあげられる。現在、政策的に「もうかる大学スポーツ」を創ろうとする動向があり、第 3 期基本計画でも「大学スポーツが有する資源(施設、人材、知的資源等)を存分に活用した地方創生を推進する」との方向性が打ち出されている。青山学院大では立地する渋谷区からの要請もあって、スポーツ貢献と地域貢献の両面から検討し 2016年から受け入れを行った。とはいえ、大学部活動との両立は大学側が付属校施設も含めた調整に苦心し、「B リーグが来たから活動できない」と言わせない運営を何とか行っている状況である。

 青山学院大の場合はあくまでも「施設を貸し出す」という位置づけで、アリーナの管理も大学が行っていて、スポーツと地域貢献に関連しないイベントは断っている。北山エリアの 3 大学アリーナ構想は一応大学施設とはいえ、建設段階からその運営まで企業に「丸投げ」になる可能性の高いものであり、しかも収益が上がらなければ運営企業が撤退する可能性もある。大学におけるスポーツ教育の放棄にもつながりかねない無責任なものとも指摘できるだろう。

 当日は最近のスポーツ政策動向も踏まえた資料を別途用意し、本年4月26日に行われた京都府主催「第3回共同体育館(アリーナ)に係る意見聴取会」で示された京都府立大学学生ワークショップによる共同体育館計画案にも触れて、アリーナ構想の無責任性について報告したい。

 なぜ、東日本大震災から間もないのに、「創造的復興」の名のもとに「復興五輪」という大義名分を掲げて、2020 夏季大会の東京への招致活動が開始されたのか。なぜ、COVID-19 の感染拡大が終息していないのに、2020 東京オリンピックは中止ではなく、延期開催されたのか。また、今回のシンポジウムのテーマ「京都北山再開発問題(ジェントリフィケーション)」のように、なぜ、京都北山の再開発にスタジアム・アリーナが必要なのか。

 このような釈然としないオリンピックや「スポーツ」を利用した都市(再)開発の背景を明快に解き明かしてくれるのが、ボイコフ(Jules Boykoff)が「祝賀便乗型資本主義(Celebration Capitalism)」である。この概念は2014年に出版した『祝賀便乗型資本主義とオリンピック』という著書で提示されたが、今や、批判的なオリンピック研究の理論的なパースペクティブとなっている。

 本報告の目的は、ボイコフのパースペクティブを用いて、都市(再)開発と「スポーツ」とのグッドマリアージュ=相性の良さを紹介しながら、ボイコフのパースペクティブの問題点にも言及することにある。

 さて、祝賀便乗型資本主義とは何か。ボイコフは祝賀便乗型資本主義の特徴を以下の6点に整理している(Boykoff:2018:195-202)。第1に、統治機構が法を超越して決定権限を行使する「例外状態」を創出するという点である。第2に、「公民連携(PPP: Public Private Partnership)」のもと、民間の営利活動のリスクを官が負担する構造を作り出すという点である。第3に、洗練されたマーケティング手法の効果的な宣伝による祝祭的な商業主義という点である。第4に、セキュリティ産業の成長という点である。第5に、国際オリンピック委員会(IOC)や招致委員会や各国のオリンピック委員会は環境と社会との持続可能性を強調するが、すでにこのこと自体が資本による搾取の隠れ蓑となっている。第6に、マスメディアが作り出す政治経済的な一大スペクタクルという点である。それでは、以下でボイコフの祝賀便乗型資本主義という理論的なパースペクティブから見えてくるオリンピックの問題を確認しておこう。

 まず、オリンピックでは「公民連携」というロジックを用いながら、民間が負担するはずだった費用を公共が肩代わりする事態が生じる。これによって公共部門が大きな負債を抱えることになるため、大会後には競技施設や選手村を民営化する方向に圧力が働く。また財政難を抱えた国や自治体は、大会後に社会サービスへの支出を引き締め、生活者への負担を強いる。結果として、祝賀便乗型資本主義は開催都市の緊縮財政と民営化の推進という、新自由主義的な制度変更に貢献することになる。ボイコフの議論の焦点は、お祭り騒ぎに乗じて祝賀便乗型資本主義が創り出す「惨事」を、惨事便乗型資本主義が利用する構図、わかりやすく言い換えるならば「火事場泥棒の正当化」に向けられている。つまり、祝賀便乗型資本主義と惨事便乗型資本主義は相次いで登場し、あたかも、私たちは「ワン・ツー・パンチ」を打ち込まれる構図に巻き込まれるのである。

 ボイコフは近年のオリンピックを「オリンピックの新自由主義化」と位置づける傾向にある研究を是正するために、祝賀便乗型資本主義という概念を設定したと述べていることは、興味深い(Boykoff: 2021, 34)。たしかに、このような「告白」は、クライン(Klein Naomi)の「惨事便乗型資本主義(Disaster Capitalism)」をモチーフにした祝賀便乗型資本主義というパースペクティブに「期待」した人々を落胆させるかもしれない。しかし、この点について、ボイコフの主張を整理し、彼の意図を明確にしておく必要があろう。

 ボイコフによると、オリンピックとは IOCによって開催都市に対して一方的に押しつけられる規則や規制からなる緊縮政策であり、オリンピックの経費の大半を拠出し、細かく管理するのは公であって、自由市場によって決定されない(Boykoff: 2018, 194-195)。また、オリンピックは完全に民営化されておらず、常にコストの大半を一般の人々が「税金」として支払っている。また、スポンサー企業は、将来に渡る契約という特権を持つだけであり、オリンピックへの参入は自由市場に任せられているわけではない。しかも、ボイコフが述べるように、オリンピック事業における公民連携は非常に複雑で、大勢の法律家を必要とするため、比較的小規模な企業は契約獲得競争から脱落し、そこに参入できるのは限られた大企業になってしまう(Boycoff:2018, 199)。

 つまり、ボイコフが指摘するオリンピックの公民連携とは、大企業の参入を進めるとは言いながらも、規制緩和ではなく、IOCによる厳重な規則と規制体制の構築にある。むしろ、オリンピックはIOCによって規制が強化され、そのブランドイメージや価値を高め、商業化を進め、世界でも有数のグローバル企業のみをワールドワイドオリンピックパートナーとして承認する。

 たしかに、一見すると新自由主義的な手法によってマネジメントされているように思われるオリンピックではあるが、ボイコフによれば、IOCによる厳重な規則と規制体制のもとで構築される公民連携でしかない。ボイコフはオリンピックをはじめとするメガイベント閉幕後の混乱を深刻なものにしていく惨事便乗型資本主義を招くメガイベントのマネジメントの構造を祝賀便乗型資本主義として描き出したのである。しかし、このようなボイコフの整理に「問題」があると思うのだが、この点は当日の報告で述べさせていただきたい。

第3分科会「フランクフルト学派の現在」

私たちはどのような時間を生きているのか?:批判理論第四世代とハルトムート・ローザの社会学出口剛司(東京大学)
クリストフ・メンケの美学と批判理論――美的な自然本性についての近代的主体の自己反省――吉田敬介(法政大学)
司会:府川純一郎(岐阜大学)

 ハルトムート・ローザ(Hartmut Rosa 1965 –)は、現代ドイツを代表する社会学者であると同時に、批判理論第四世代に属する「ポスト・ホネット」の思想家でもある。とくにローザは、フランクフルト学派の中でも、テオドール・アドルノの「ミニマ・モラリア」、ヘルベルト・マルクーゼの「エロス的文明」、エーリッヒ・フロムの「生の技法」、そしてそれらが合流する位置にあるアクセル・ホネットの承認論を、批判理論の「地下水脈」として継承する特異な理論家である。ローザ自身はこうした「善き生」の水脈を「共鳴(ResonanzResonanz)」をキーワードとする「善き生の社会学」あるいは「世界関係の社会学」として発展させている。

 ローザ及び彼に先行するホネットの批判理論における顕著な特徴は、いずれも学派の傍流・異端に属するエーリッヒ・フロムの影響を強く受けている点である。後者のホネットの承認論及び自由論は、初期から中期にかけてのフロムの先駆的な対象関係論的フロイト解釈と二つの自由論(消極的自由と積極的自由)の影響を受けており、後者のローザの共鳴概念には、後期フロムの存在論の影響が強く見られる。ホネットとローザは、いわば社会の「批判」から善き生という「倫理」の探求に向かう点で、アドルノ=ホルクハイマーやハーバーマスになく、フロムに特徴的に存在する思想的特徴を継承しているといえる。とくにローザは、フロムの『生きるということ』の強い影響下で「善き生の社会学」の復権を模索している。

 本報告では、フロムの影響を受けたホネットとフロムのうち、「善き生の社会学」「世界関係の社会学」を構想するローザに注目し、とりわけその途上で執筆された『加速する社会』について取り上げることとする。

 ここでローザは、時間の社会学をめぐる幾つかの先行研究を検討しつつ、近代における「時間関係」をこれまで批判理論が依拠してきた「生産関係」「自然支配」「コミュニケイション関係」「承認関係」の概念史の中に位置づけ、それを新たな社会批判の拠点としている。なぜならば、ローザによれば「時間関係」こそ、こうした概念史的系譜の中で、現代社会において、「自由を抑圧する社会からの強制」としてもっともリアリティを有しており、社会批判の中心概念に据えられるべきものだからである。本報告も、時間こそ人々の意識と行為を直接的に拘束するものと捉え、時間による抑圧と抑圧からの解放の可能性を検証する。

 報告ではまず、ローザが設定する「加速」と「脱加速」をめぐる基礎概念を検討する。そのことによって、テクノロジーが加速をもたらすという技術決定論、すべてが加速するという加速主義を回避し、加速と脱加速のダイナミズムを捉えようするローザの理論的フレームを明らかにする。さらにローザとともに、生活テンポの加速(文化)、社会変動の加速(社会構想)、技術的加速(経済)という三つの領域における加速現象のメカニズムを検討し(これらの三つの加速をもたらすものが「加速の約束」「機能分化と複雑性の時間化」「時間のエコノミー(経済=倹約)」である)、それらが最終的に生み出す加速循環(自己目的的運動)について明らかにする。以上の理論的フレームと加速メカニズムの理論的検討を行ったのち、前近代社会から近代社会を経て、後期近代へと至る時間構造の変化の中で、脱同期、超高速静止、動的安定性と呼ばれる事態が生じること、そしてそれらが現代社会における時間の病理を生み出していることを明らかにする。

 報告の「結び」において、ローザが時間の病理診断の後に追究した「共鳴」概念(接触・自己効力感・変容・意のままにならないことを特徴とする)、その導入によって展開された「善き生の社会学」及び「世界関係の社会学」に触れ、現代社会における新たな連帯と解放の契機について、その可能性を検討する。

 本発表は、クリストフ・メンケ(1958 )の美学理論を、美的な自然本性についての近代的主体の自己反省という観点から再構成することを通して、美学と批判理論の関係を考察することを試みるものである。

 メンケはその著『力 美的人間学の根本概念』(Kraft: Ein Grundbegriff ästhetischer Anthropologie, 2008)において、美学の思想史的再構成を行っている。同書では、デカルト、ライプニッツ、バウムガルテン、ヘルダー、カント、ニーチェらに即して、美学の成立と展開が跡付けられているのだ。注目すべきは、そこに「能力の美学」と「力の美学」の相克が見いだされているという点である。ここで言われる「能力の美学」とは、芸術作品の制作や判定を主体の意識的能力に帰するような美学であり、対する「力の美学」とは、主体の意識を超えた力の遊びやその表現にこそ芸術の核心を見る美学である。近代の美学は、この両者の相克の中で成立・展開しているのである。

 メンケはさらに、思想史的なアプローチから踏み出て、「能力Vermögen 」と「力Kraft 」の相克のうちに近代的な主体に特有の性格を見るに至る。すなわち近代的な「主体」とは、一方では、訓練や規律化によって獲得した意識的な「能力」でもって一般的な規範を実現する社会的実践への参加者である。だが他方では、「主体」やその能力は、目的や形式がないまま戯れる無意識の「力」から生成してくるものでもある。そしてこうして戯れる「力」こそ、メンケによれば、人間の美的な自然本性なのである。こうしてメンケの美的人間学は、近代社会に生きる人間を、美的な自然本性としての「力」から生成してきた「能力」の主体として理解するのである。

 こうした人間理解から、メンケは、芸術のもつ独自の存在様式と社会的性格をも明らかにする。『芸術の力』(Die Kraft der Kunst 20132013)においてメンケが論じるところによれば、芸術とは、主体的な能力と主体を超えた力との両者が相互的に関係し合ってはじめて成立するものである。換言すれば、芸術は、主体の能力によって産み出される社会的なものであるが、同時にまた社会的な枠組みをその都度超え出る力の表現でもある。芸術は、社会的な規定 例えば資本主義的な商品、あるいは社会批判のメディアといった規定 に留まることはできないのだ。だからこそ近代的主体は、芸術において、社会的な規定に汲みつくされない自らのあり方を反省することができる。この意味で芸術は「社会的なものにおける社会的なものからの自由」なのである。

 さらにメンケは、人間の美的な自然本性ゆえに生じる「美化Ästhetisierung 」という事態、すなわち主体的能力の領域が美的な力の戯れへと変貌する事態に注目し、社会におけるその二様の働き方を考察する。「美化」は、一方では、「シアトロクラシーTheatrokratie 」として働きうる。「シアトロクラシー」においては、事柄における法則性や規範性を判断する能力が後退し、公衆のもとに引き起こされた感覚的な印象や興奮の力が支配者となる。芸術の領域から政治や文化の領域へと波及するこの「シアトロクラシー」を通して、社会的主体は、公共の議論への責任ある参与者とならずに、言説やイメージの美しさに身を委ねる美的観客になってしまうのである。だが他方でメンケは、こうした「シアトロクラシー」に抗して、「美化」によって可能となる主体の「美的な思考」の可能性を強調する。「美的な思考」においては、主体的「理論」が、自らの出自である美的状態を思い出し、自らを美的なものとして知ることができる。こうして自らの美的な自然本性を認識することによって、主体的思考は、既存の社会的規定に埋没せずに、自らの社会的実践を新たなものとするための自己反省を遂行することができるのである。

 こうしたメンケの議論は、20 世紀以来の知的潮流としての「批判理論」(もしくはフランクフルト学派)と美学の関係を考察する上で、重要な視点を与えてくれるだろう。そもそも美学は、「美的なもの」や「歴史的図像」をめぐるTh ・W ・アドルノの考察以来、批判理論の重要な構成要素であり続けている。それはまさしく、『啓蒙の弁証法』(Dialektik der Aufklärung 1947) が求める啓蒙の自己省察の鍵が、すなわち「主体の内における自然の追想」が、芸術における美的な経験によって示唆されているからであるだろう。メンケは、一方では近代美学史を辿りながら、他方ではアクチュアルな美学的主題に取り組みつつ、この問題意識を引き継いでいるだろう。

 またメンケの美学のうちに、「批判理論」の内在的な自己省察を見出すこともできる。メンケは、コミュニケーション的理性と美的主体性との間の緊張関係を考察するA ・ヴェルマーの議論を引き受けながら、社会的実践には汲みつくされない美的経験の可能性を注視しているのだ。それは一方では、文化産業論が問題視したような美的なものの危険性の洞察を現代のコンテクストに置き換えることであり、他方では、人間の自由の経験としての美的経験の可能性を模索する試みでもある。メンケ曰く「美学の最後の言葉は、人間の自由なのである」。

第2日

個人研究発表(10:00~12:00)

〇第1会場

「生活モデルの発達支援」の批判的検討――障害学の観点から――志田圭将(北星学園大学大学院)
アトピー性皮膚炎を捉える身体論の構想――「皮膚」と「掻き」を軸として――加戸友佳子(摂南大学)

○第2会場

科学館の展示場における対話が生み出す公共性――科学館職員へのインタビューを通じた考察――加藤木ひとみ(東京農工大学大学院)
教育改革におけるレジスタンスから社会問題の自己組織性を視る――〈配分依存論〉の試み――楊逸帆(青醒人共生文化智庫、東呉大学大学院哲学研究科)

○第3会場

エコロジーへのケアの提起――生産様式の注目から――東方沙由理(東京家政大学)
ペットと優生思想――犬や猫の生殖をめぐる問題――丸山啓史(京都教育大学)

ラウンドテーブル(12:15~13:30)

「若手研究者」企画

シンポジウム(13:30~17:00)

「戦争を原理的に否定する論理」

 ロシアによるウクライナ侵攻から一年半超が経過し、世界は衝撃と困惑につつまれながらも、軍拡、軍備増強の方向へと舵を切り始めている。ヨーロッパでは軍事工場が息を吹き返し、アメリカではウクライナへの巨額の軍事支援に加えて東アジアの「平和と安定」を目指して米韓同盟が強化され、日本では安保三文書の改定とともに防衛費の飛躍的な増加が進められようとしている。西側を中心とした国際社会がロシアの行う「戦争」を糾弾する一方で、将来に向けた「抑止力」、そして「自衛」のための軍事力は、今や「国際公共財」としての存在感をますます確かなものにしてしまったようである。戦争の違法化という国際法の趨勢とは裏腹な、大国による違法な軍事行使という現実は、世界に軍事力の存在価値を消し難く刻印してしまった。未だ記憶に生々しいベトナム戦争から、ロシアがその侵攻を正当化する根拠の一つとして位置づけたイラク戦争まで、力はそれ自体として平和を生み出すことはないという、繰り返し叫ばれてきた教訓がものの見事に無視されるディストピア的な世界を我々は目にしているのである。

 なぜこんなにも、繰り返されてきた過ち、そして悲劇を再演する方向に向かってしまうのだろうか。確認したいのは今日、侵略戦争そのものを真正面から肯定する論理はほとんど支持されないことである。そうした「論理」は、歴史の教訓を無視したアナクロニズムとして非難にさらされるはずである。しかし他方、戦争自体を原理的に否定する「論理」が同様に広範な支持を集めているのか否かについては、検討の余地がある。「反戦」や「平和主義」は、ともすれば一部の人びとの「極論」として片づけられてしまう。そして「自衛」のためであれば、「戦争」を行うことは必要であるばかりか、正しいこと(正義)であり、「美しい」行為ですらあるというイデオロギー的誘導に人びとは慣れ、多くは無思考になってしまっている。このような傾向が顕著であるのが、ほかならぬ西側世界なのではないか。

 この煮え切らない現状において、戦争を原理的に「否定」する論理について今一度問いただし、根源的に考察することは必須の作業であろう。戦争を批判する言説は一見、世にあふれている。まず根本的に、人が人を殺傷することの非倫理性である。そして戦争がもたらす破壊の数々である。また、戦争は最大の環境破壊であるとも言われるように、SDGs を掲げる 21 世紀の世界とは真逆の方向を向いているという時代錯誤もある。貴重な文化財の破壊や喪失をもたらし、文明の存続自体を危険にさらす行為であるという文化史・文明史的な批判もなされてきた。また、軍事兵器の開発や維持にかかわるコストを誰が負担するのかという国内政治もしくは民主主義の正当性にかかわる危機や、国際政治におけるエスカレーションと世界の分断・ブロック化の危険も繰り返し指摘されてきた。一つの戦争の遂行が、新たな敵意や利害関係を醸成することで第二の戦争や紛争を誘発するという点についても深刻な懸念が表明されている。さらに続ければ、軍隊の内外での性暴力、子どもの権利の侵害など、きりがないほど長いリストができあがる。

 これらの一切にもかかわらず、戦争は今日も勃発し、行われ続けている。この現実を前に、いかにして我々は戦争を原理的に否定する論理を強力に繰り出していくことが可能なのか。本シンポジウムでは、各分野から先導的な論客を招いて、この難題に迫っていきたい。戦争と暴力に関する根源的な考察を行ってきた戸田清氏、哲学と現代社会についての考察を続ける小谷英生氏、そしてジェンダーと政治、正義、戦争等をテーマに研究を続けておられる内藤葉子氏をお迎えして、議論を展開していくことにしたい。

アザー・ガット『文明と戦争』(2006)とピンカー『暴力の人類史』(2011)に反論する戸田清(長崎大学・名誉教授)
戦争を支える〈物語政治〉を批判する ――人文社会科学、歴史、陰謀論小谷英夫(群馬大学)
何が戦争を支えるのか ―ジェンダー、ケア、女性―内藤葉子(大阪公立大学)
《司会》小山花子(盛岡大学)

 佐原真(考古学)は「戦争の歴史は世界で8000 年、日本で2000 年」と述べた(佐原2005)。8000 年というのは、4大古代文明から現在まで長くみて8000 年、2000 年というのは「縄文時代に殺人はあっても戦争はなかった。弥生時代に戦争が始まった」という歴史観を意味するのであろう。弥生時代に富・権力・威信の格差が明確な階級社会となり、農地の争奪などをめぐる戦争が始まったとみられる。階級社会の成立は国家の形成につながる。ヒトとチンパンジーの共通祖先からの分岐以来の人類史が700万年、現生人類ホモ・サピエンスの登場以来30 万年というのが現在の自然人類学の通説である。人類史の長さに比して戦争の歴史は短い。「人類は戦争ばかりしている」というのは階級社会(古代、中世、近代)に暮らす人びとの「常識」にすぎない。他方、ニューギニア高地人や南米のヤノマミ人のように、縄文的段階にありながら「原始的な戦争」が散発した民族集団も少なくない。ピエール・クラストルが示唆するように「原始的な戦争」に階級社会と国家の成立を抑制する機能があるのだとすれば、縄文文化における原始的な戦争の欠如と、朝鮮・中国の先進文明から「戦争する文化」を携えた渡来人が来たことが、弥生時代以降の階級社会と国家への道を用意したのかもしれない。

 私は次のように考える。

1 人類史を通じて暴力の減少傾向は一部に見られるが(米国や日本での死刑執行数の減少など)、巨大暴力の勃発リスクは依然としてあり、状況は複雑である。直接的暴力は数値化しやすい。たとえば戦争の死傷者数、兵士と非戦闘員の死者比率、人口当たりの殺人件数など。構造的暴力は数値化しにくいので不可視化(無視)されやすい。奴隷制度、人種差別、ジェンダー差別、言語剥奪(植民地朝鮮での日本語強制のような)などによる苦しみを数値化できるだろうか。直観的に、直接的暴力と構造的暴力の合計は前国家社会から国家社会(階級社会)へ移行するときに増大したように思う。保守主義者がガルトゥングの暴力概念(1969 年)を嫌う(黙殺する)のは、構造的暴力を隠蔽したいからではないだろうか。民意も技術的難点(軟弱地盤)も無視して辺野古基地建設の強行を続けるのは民主国家にあるまじき「専制主義」ではないのだろうか。近現代の戦争の原因を考えるうえで、日本帝国主義・アメリカ帝国主義・ロシア帝国主義の比較研究などが重要と考える(年表参照)。

「定住と所有という農耕・牧畜社会の原則は個人や集団の間に多くの争いを引き起こし、やがて支配階層や君主を生み出し大規模な戦争につなげる温床となった。集団間の争いで死亡する人の割合は巨大文明が発達した3千~5千年前に最大となった。そして下克上の世の中を生き延びるためキリスト教や仏教などの世界宗教が生まれた。」(山極寿一2023)

2 戦争犯罪と国家犯罪は権威主義体制(ドイツ、日本、ソ連など)と民主主義体制(米国など)の双方に見られた。連合国の戦争犯罪の相当部分は、枢軸国の戦争犯罪によって誘発されたものである。2003イラク侵攻と2022ウクライナ侵攻は「21 世紀の2大国家テロ」である。軍産複合体が重要。

3 高レベル放射性廃棄物の管理で人類には10 万年(日本、フィンランドほか)ないし100 万年(独米ほか)の存続義務がある。長い将来を考えるとき、「資本主義とブルジョワ民主主義で終わり」ではない。その先がある。ところでブルジョワ民主主義の到達点に死刑廃止条約(1989)や核兵器禁止条約(2017)があるが、日米政府は両者に背を向けている。100年以内に「資本主義が消滅する」可能性もある(星野克美2022:283)。

 私の見解は、西側先進国(米国を盟主とする帝国主義陣営)の体制側知識人への対抗を意図している。彼らは、「原始的な戦争」を強調しつつ、「国家の成立によって暴力が抑制された」というホッブス的な社会観を押し出すことが多い。アザー・ガット『文明と戦争』(20062006)とスティーブン・ピンカー『暴力の人類史』(20112011)がその代表例である。本報告では、この代表例たる二者の主張を、私の見解に基づき批判的に検討する。以下で、彼らの主張と問題点を紹介する。

 アザー・ガットは、1959 年生まれのイスラエル人、オクスフォード大学博士、テルアビブ大学政治学部国家安全保障講座担当教授、イスラエル陸軍予備役中佐。彼の思想の基盤にあるのはトマス・ホッブズ的、ロバート・アードレイ的人間観 (自然状態は万人に対する戦争、人類は殺人者カイン[killer ape] の末裔) であると思われる。国家の成立、近代文明と産業革命、自由民主主義、核抑止のおかげで過去数千年にわたり戦争は減少してきたとされる。戦争犯罪は権威主義国の専売特許であり、民主主義国は戦争犯罪をしなかった、米国を盟主とする西側先進国の指導は素晴らしい、ネタニヤフもブッシュも正しい、と主張しているように読める。

 兼業軍人であるガットに比べてピンカーのほうが平和主義的。ガットは核抑止にたびたび肯定的に言及。ピンカーは核抑止に否定的。ピンカーは1954 年生まれのカナダ人、ハーバード大学教授、心理学者。 ピンカーとガットにほぼ共通にみられる主張は、次の3点である。(ピンカーは核抑止に懐疑的)

1 暴力と戦争は人類史を通じて減少傾向にある。前国家社会から国家社会になると暴力は減少し、国家社会の歴史を通じて暴力は減少してきた。ガットは戦争減少の要因を国家の成立、近代文明と産業革命、自由民主主義米国式、核抑止にみているようだ。「民主主義陣営が結束して権威主義体制の暴走に対抗すべきだ」と言いたいのであれば、バイデンの「民主主義対専制主義」や「岸田大軍拡」にも適合する。2023 年1 月14 日の日米首脳共同声明でも、ロシア、中国、北朝鮮を名指しで非難するとともに、敵基地攻撃を含む日米同盟強化をうたった。

2 戦争犯罪と国家犯罪は権威主義体制(ドイツ、日本、ソ連など)の専売特許であり、民主主義体制(米国など)ではみられない。ガットやピンカーにとって「アメリカ帝国主義論」(ブルム、土井などを参照)は不都合である。ガットはマイケル・マンの主著『ソーシャル・パワー』を引用するが、『論理なき帝国』は黙殺する。二重基準。

3 軍産複合体を内蔵した資本主義とブルジョワ民主主義が歴史の到達点であり、その先はない。(社会主義は権威主義・全体主義を招くので良くないとされる)「大国・覇権国 米国を含むの暴走」の概念がない。

ガットの著書の問題点をあげてみる。

  1. 霊長類学の先行研究の要約の不備と偏り
  2. 採集狩猟民・初期農耕民 国家前社会 の戦争と暴力を一面的に誇張している。
  3. 軍産複合体を容認している。膨大な軍事費を容認。
  4. 米国の原爆投下を容認している。核抑止を肯定している。
  5. 米国の2003イラク侵攻、ベトナム介入、ニカラグア介入、アフガニスタン報復戦争などを容認している。
  6. イスラエルのパレスチナへの軍事作戦を容認している。
  7. 西側が北朝鮮をいじめ、挑発していることを見ようとしない。
  8. 近代文明と資本主義の根源的な難点を見ようとしない。
  9. 戦争犯罪・人道に対する罪についての認識の偏り
  10. 構造的暴力についての認識の欠落
  11. ホッブス的人間観

岸田大軍拡推進派の代表的な著書は次の通り。
高橋杉雄2023 『現代戦略論 大国間競争時代の安全保障』並木書房 防衛研究所防衛政策研究室長
河野克俊2020 『統合幕僚長』ワック 元統合幕僚長
河野克俊・兼原信克2022 『国難に立ち向かう新国防論 中国、ロシア、北朝鮮の凶行から日本国民を守れるのか』ビジネス社 岩田清文2023 『中国を封じ込めよ!』飛鳥新社
岩田清文ほか2023 『君たち、中国に勝てるのか 自衛隊最高幹部が語る日米同盟vs 中国』産経新聞出版

戸田清2017 『核発電の便利神話』長崎文献社
戸田清2019 『人はなぜ戦争をするのか』法律文化社
アザー・ガット『文明と戦争 人類二百万年の興亡』上下、歴史と戦争研究会訳、中公文庫2022
スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』上下 幾島幸子・塩原通緒訳 青土社2015

 戦争を否定することはたやすい。しかしながら、戦争を止めることは難しい。戦争の遂行者あるいは賛同者たちは、戦争を拒絶するような議論をいつでも無視することができるからである。それどころか近代以降の戦争は、そうした議論を無視することによってはじめて可能であるとさえ、言うことができるかもしれない。というのも、為政者たちは戦争は悪であり、望ましくないことを積極的に認めるに違いないからである。その上で、彼らは「しかし」と続ける。「戦争をしなければこの難局は乗り越えられない」と。

アーサー・ボンソンビーは1928年に出版した『戦時下の嘘』のなかで、典型的な戦争プロパガンダを提示している。その筆頭は「我々は戦争をしたくない。しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」というものであった。こうしたプロパガンダはかつての日中戦争、ベトナム戦争や湾岸戦争、アフガニスタン・イラク戦争から、NATO拡大を理由としたロシアによるウクライナ侵攻に至るまで、使用され続けてきた。

プロパガンダが機能するためには、その主張にリアリティを与えるようなイデオロギーが、とりわけジョナサン・ゴットシャルの言う〈物語(story)〉が必要である。自らを英雄的に表象し、相手を敵性認定するような〈物語〉こそが、軍事侵攻に情緒的な正当性を与えるからである。実際、ウクライナ侵攻に当たり、ロシアは「ゼレンスキー政権はネオナチである。したがってロシアがネオナチからウクライナを解放しなければならない」といった〈物語〉を声高に叫んでいた。

本発表で想定している〈物語〉とは、世界の動向を各党派が躍動した結果として理解するような政治的解釈図式のことである。こうした〈物語〉のなかで社会的な出来事や私たちの言動は、政治的な意味を付与される。人々は勝利条件を満たすために動くプレイヤーとみなされ、党派的なレッテルを貼られ、友/敵構図のなかに配置される。そしてその言動は、自己利益を最大化するための戦略的行為と捉えられるようになる。かくして、私たちの個人的・社会的な行為はすべて政治的行為として理解され、肯定的あるいは否定的に評価されることになるのである。

支配者層にとって都合の良い〈物語〉が大衆の心をつかみ、別の〈物語〉が失墜することによって、大衆は自ずから支配者層を支持するような政治的判断をすることとなる。したがって戦争をするには―戦争に限らず支配者層の政策に支持を取り付けるためには―、〈物語〉の支配が重要な鍵となる。〈物語〉をめぐるヘゲモニー闘争を〈物語政治〉と呼ぶとすれば、この政治は古くから続くものであり、ゴットシャルが言うようにプラトンの詩人追放論にまで遡ることができるだろう。

本発表が〈物語政治〉に着目するのは、この政治が現代ではますます重要となり、かつ巧妙に行われるようになってきているからである。それによって戦争を肯定するような〈物語〉が形成されやすく、否定するような〈物語〉が形成されづらい状況が生じているように思われる。

(1)人文社会科学は全体として、家父長制やナショナリズムに代表される利己主義的で排他的な〈物語〉を脱構築し、(地球環境や動物も含めた)人類の平和共存に資するような〈物語〉の構築を目指す傾向にある。しかしながら近年では、ファクトチェックや政策批判を行う社会科学的・人文学的言説を、すべて左派イデオロギーによる謀略として敵対視するような〈物語〉が広まっている。それによって多様性を擁護し、社会問題を解決し、平和共存の道を模索しようという人文社会科学の真摯な努力が蔑ろにされてしまうだけでなく、利己的で排他的な〈物語〉を是正しようという社会の浄化作用が失われてしまう(反知性主義と人文社会科学の危機)。

(2)上のような〈物語〉が拡散される背景には、急速に進んだSNSの発達と浸透がある。サジェスト機能を通じた情報の偏り、フェイク・ニュースの蔓延、インフルエンサーと呼ばれる新興のオピニオン・リーダーたちによる冷笑や過激なアジテーションなどによって、反知性主義的な〈物語〉は拡散され、それを信じる人々とそうでない人々の間で〈分断〉は深まっているように見受けられる(左右には還元できないイデオロギー的分断)。

(3)近代における〈物語〉の典型は、歴史叙述であった。しかしながら現代ではそれに加え、陰謀論が無視できない影響力を与えかねない事態となっている(トランプ政権とQアノン陰謀論がその代表である)。こうした傾向は例えば『シオン賢者の議定書』がヒトラーの反ユダヤ主義に影響を与えた時代から存在するが、SNSの登場によって常態化し、かつ加速しているように見える(〈物語政治〉の加速あるいは暴走)。

(4)先進国を中心に大量破壊が可能な軍事体制が整備され、ドローンに代表されるAI型無人兵器の導入によって軍事作戦が半自動化されている現在においては、デヴィット・グレーバーの言うように為政者の狂気的な判断がもたらす被害が甚大化しうる。この狂気的な判断は、しばしば野望と呼ばれる狂気的な〈物語〉に支えられているように見える(例えばピョートル・アコポフ 「ロシアの攻勢と新世界の到来」から垣間見えるプーチン政権の歴史観および世界観)。

〈物語〉をめぐる危機や分断の背景には、もちろん社会構造それ自体問題が潜んでいる。例えばリベラリズムのユートピア的な〈物語〉に対する反発が生じるのは、リベラルな社会の恩恵を受けていないと一部の人々が感じていることと無関係ではないだろう。しかしながら、そうした事柄の分析は本発表の枠を超える。ここで報告者が哲学的な立場から提題したいのは、私たちが真剣に戦争を批判してもその声は無視され、反対に驚くほど馬鹿馬鹿しい〈物語〉の筋書きにしたがって悲惨な戦争が生じやすいという〈物語政治〉上の危機を克服しなければ、本シンポジウムのような議論さえ、無意味になってしまいかねないということである。この点で本発表は、メタ・シンポジウム的な観点を含んでいる。

1 戦争とジェンダー

 「戦争」は、正当な物理的暴力を独占する国家同士が武力を行使して、一定期間、闘争状態を継続することである。しかしながら、この闘争状態が起きない場合でも、それに対応するための複雑なシステムが存在する。軍隊組織、軍事施設、国防省などの行政機構・行政スタッフ、徴兵制・志願制、集団安全保障体制、戦争関連の国際法や国際条約、国家や民族集団の歴史や地理的関係、文化や価値観などのほか、ジェンダーもまたこうした「戦争システム」を支えている。

 戦争を前提とした社会は、歴史的に男性と女性を異なった位置に配置してきた。男性が徴兵制の対象とされる一方で、女性は銃後を守り、出産を奨励され、男性を鼓舞する役割を与えられた。戦争や戦闘行為が男らしさや男性性と結びつけられるように、男女二元論的な言説も強化される。戦争システムにおいてジェンダー・ポリティクスがどのように作動するのかは、ジェンダー研究が学際的に追究してきたテーマである。

 本報告では、第一次世界大戦期のドイツを主な事例として取り上げながら、適宜、現代の戦争にまで射程を広げて、ジェンダーの視座から何が戦争システムを支えるのかを検討する。それにより、戦争を原理的に否定する論理はあるのか、あるとすればどこにその手掛かりを見出せるのかを考察する。

2 ジェンダーの視点から20 世紀、21 世紀の戦争を振り返る

 第一次世界大戦は第一波フェミニズムが興隆していた最中に勃発した。各国の総力戦体制のもと、徴兵義務のない女性たちも戦争遂行のために組織的に動員され、社会的インフラを支えた。女性運動を担った女性たちの多くが戦争協力に舵を切ったことは、ドイツやイギリスやアメリカにおける女性参政権の成立を直接的・間接的に促している。

 女性兵士もまた戦争の一翼を担ってきた。イギリスやアメリカでは第一次世界大戦期にはすでに、女性が国防軍のなかで通信業務や調理・運搬など補助的任務に就いた。旧ソ連・東欧圏など旧共産主義国とその影響を受けた国や地域では、早くから武器をもって前線で戦う女性兵士がいた。ナチス・ドイツのように女性の家庭的・女性的役割を強調した政権ですら、後方支援などに限定しながらも、国防軍のなかに女性を配置した。現代では女性兵士の増加に伴い、その軍務の範囲は拡大している。また、徴兵制を再開した国では、男女ともに徴兵の対象にされつつある。

 第一次世界大戦期は、国家間戦争の衝撃を重く受け止めたフェミニストたちが、国際的な平和主義の活動を本格化させた時期でもある。それは国際的な軍縮の流れを作り出すものであった。冷戦期を経て1990 年代以降、戦時性暴力の問題がクローズアップされるなか、国際NGO や女性団体の働きかけが軍縮や国連の方向性に大きな影響を及ぼすようになった。2000年に女性・平和・安全保障に関する安保理決議第1325号が採択されたことは、戦争とジェンダーの関係における画期的出来事である。

3 フェミニズムのディレンマ

 20世紀以降の歴史を概観したとき、フェミニズムが直面してきたディレンマや課題がいくつか指摘できるだろう。

 第一に、戦争が女性を「解放する」ことをどう捉えるかという問いがある。第一次世界大戦の経験と参政権獲得という成果は、公私領域の境界を変動させ、大局的にはその後の女性の社会進出を方向づけることになる。20世紀後半には、機会均等、ジェンダー平等の観点から軍隊へのアクセス、あるいは軍隊内の平等が模索されていく。昨今の「ダイバーシティ」の要請からもこの流れは後押しされているといってよい。しかしながらこうした成果は、男性優位に構築されたシステムを下支えするだけで、家父長制への取り込みにすぎないのではないかという問いが提起されてきた。

 第二に、女性の「解放」がジェンダー・バックラッシュを引き起こすことである。第一次世界大戦は、従来の公私領域の強固な境界や男女二元論的性規範を大きく揺るがした。しかしながら、1920年代以降のリベラル・デモクラシーへの逆風のなか、ドイツではナチス政権の成立とともに主要な女性団体は解散し、平和主義を唱えたフェミニストたちは亡命を余儀なくされた。現代ではポピュリズムや、対テロ戦争の原因の一つともいえる宗教的ラディカリズムが、反フェミニズムや反LGBTQ の姿勢を示して多様性を拒否し、男性優位の男女二元論的ジェンダー秩序へと押し戻そうとする。バックラッシュによりジェンダー・ポリティクスは一層先鋭化し、諸価値の分裂状況を引き起こしている。

 第三に、反戦や平和主義を唱えるフェミニズムが本質主義として批判されてきたことである。フェミニズムは早くから戦争の本質や戦争抑止について議論し、軍事主義批判を展開してきた。しかし往々にして、そうした議論が女性性や母性を平和に結びつける本質主義とみなされ批判されてきたことは、そこで培われてきた思考の可能性を縮減することにつながってはいなかったか。

4 何が戦争を支えるのか

 こうした問いに向き合うことに加え、軍事化の進む現在の国際的・国内的状況を前に、戦争とジェンダーの関係についてのさらなる考察が求められるだろう。戦争はジェンダー抜きに見ることはできないが、ジェンダーとの関係だけを見ていても十分に捉えられない。

 戦争の本質には「暴力」がある。それは人種・民族、ジェンダー、自然との関わりにおいて多種多様な形で現れる。これらは階層性と交差性を伴いながら、戦争システムを維持し駆動させる構造のなかに組み込まれている。例えば第一次世界大戦期には、女性たちは総力戦体制のなかで、衣食住への配慮、保育所の創設、兵士への慰問、募金活動、戦傷者の介護など、さまざまなケアの仕事を担った。これらは女性たちの主体性がナショナリズムにもとづいて発揮された活動ともいえる。しかし、戦争がいかにジェンダー関係にもとづいてケアの機能を利用しつくすかという観点からも読み直せるだろう。戦争システムは、周辺部に配置された女性、マイノリティ、動物、自然を、人的・物的資源として搾取し収奪することで持続する。本報告ではこうした批判的視座のもと、とくにケアが利用される様相に着目することを通して、戦争のもたらす不正義に抗する論理を模索したい。

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