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会員著書紹介

2022.03.14

亀山純生監修・増田敬祐編集『風土的環境倫理と現代社会―〈環境〉を生きる人間存在のあり方を問う』

農林統計出版、2020年、3200 円+税

 本書では、発刊までの7年間で77 回にわたり継続されてきた「環境倫理学研究会」参加者が執筆陣となり、現代環境倫理学における風土論の意義の先端的議論がなされている。編著者の増田敬祐氏によると、希薄化した自然と人間との関係の修復には「環境に関わる人間と人間の関係をいかに回復させるか」 v 頁)が鍵になるという。そのために本書では、風土的環境倫理という理論枠組みを応用しつつ「現代社会における環境の問題を関係の問題として捉えることで、自分の身の回りにある身近な〈環境〉から共生の関係=自然と人間、人間と人間の関係を問い直し、何を変革し、何を守ればいいの か、共有されるべき倫理規範を整理」( v vi 頁)することが目指される。本短評では、会員の執筆部分に重点をおいて紹介し、評者の感想を述べる。

 まず序章では、2005 年に『環境倫理と風土』(青木書店)を著した亀山純生氏が、みずからの風土的環境倫理についてその概要をふりかえりつつ、1章以降の考察へのつなぎとして、なぜ風土から環境の問題を捉える必要があるのか提起している。1章では風土の概念と共生との関係性が整理される。2章では、増田氏により風土論の変遷と環境倫理学的問いとがきりむすばれ、人間が環境のなかで存在し、互 いに関係しあうことの意味の探求が重要ではないかと提起される。そのあと、3章以降では、研究会に参加してきた新進気鋭の若手研究者により、自らの研究領域における亀山風土論の意義と限界が論じられていく。3章では、会員の佐藤竜人氏が、ウィリアム・コノリーの政治思想から、人びとが共生しようとするとき、どうしても互いの内面に発生してしまう悪という問題とどう対峙すればよいのか持論を展開している。それに続き、4章では墓と死と共同性、5章では山村における戦後の村落自治活動、6章では環境教育の視点から、それぞれ風土論の意義と限界 が示唆される。

 最後の7章では、それまでの議論をふまえたうえで、増田氏により、亀山風土論の展開可能性が示唆される。その重要な概念が〈経験的自発性〉であると増田氏はいう。亀山風土論では、ローカルな地域がたがいに合意形成を図ろうとするとき、たがいに了解可能なミニマムな倫理が標榜される。ここでは、ローカルが、ハーバマスのいう公共圏の基礎である生活世界として捉えられており、いわば〈グローバルなコスモポリタン型〉の共同の場に人間があると捉えられている。だが、そうした場では、ミニマムな倫理が標榜されることで、ローカルに ある道徳や共同性が捨象される可能性があるという。しかし、それぞれのローカルではそれぞれの風土にあった道徳が存在し、また人びとの関係性があるはずである。この、〈ローカルな風土型〉ともいうべき人びとと環境との関係やそこでの共同性の実相は、これまであまり着目されてこなかったけれども、環境の問題を考えるうえで意義があるのではないかと増田氏は指摘する。そのうえで、最初は強制された参加かもしれないけれども、ローカルなイベントに参加し続けることで、次第に自発的な参加へとなり、次第に地域での自らの役割などを理解するようにな っていくという人間のありようを〈経験的自発性〉と定義し、「自然資源管理」や「地域資源管理」の「担い手とその共同性の検討において、自由か、抑圧かを価値基準とする近代的人間モデルとは別の、環境を共に生きるための人間存在の把捉の方法を提供する」(291頁)ことになるという。

 ここからは評者の率直な感想を述べたい。増田氏は、環境正義や近代的な人間観がローカルへの抑圧になる可能性を述べている。だが〈経験的自発性〉の意義の強調もまた、同じようか危険性をはらんではいないだろうか。たとえば、日本各地で神事等のイベントが維持できなくなっているが、それは少子高齢化だけに限らず、市場の論理の生活世界への浸透が影響している場合もある。そうした地域で、〈経験的自発性〉にもとづき、イベントの維持に反対する人にたいし「市場の論理に傾倒するのはよくない」「自らのローカルでの役割を思い出すべきである」と指摘したとしても、問題が改善するとは思われない。また、ローカルでの抑圧に耐え切れず都市に出てきた場合、その人は〈経験的自発性〉を培えなかった人になるのかもしれないが、そういった人の大半は立派に社会人になっているはずで、ここでも〈経験的自発性〉の 視座の有効性が揺らぐように思われる。評者としては、〈経験的自発性〉という契機が〈ローカルな風土型〉の共同性にある意義は理解しつつも、そうした人間の内面性だけではとらえられない地域のアクチュアリティがあるのではないか、そうした環境の変動要因も加味しないと亀山風土論の意義をさらに展開していくことはできないのではないか、と感じられてならなかった。

 ただし、本書はそうした点も含めて、いろいろな刺激を与えてくれる良書であることは間違いない。会員以外の執筆陣の章でも、興味深い議論が展開されている。ぜひ一読をお勧めしたい 。

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