2023.03.10
(社会評論社、2022 年、2200 円+税)
本書は、長年フォイエルバッハを研究してきた著者が、自らの研究の総括として著した珠玉の一冊である。第I部では、人間という存在にとって欠くことができない営為であるにもかかわらず、日本の哲学界では軽んじられがちな「食」に関する著者なりの哲学が、フォイエルバッハの哲学を軸に論じられていく。フォイエルバッハは宗教批判の哲学者として知られるが、彼の供儀論は、人間という類の本質を抉りだす。それは、ある集団が、特定の食べ物を供物として神に捧げることによって「自分たちの同一性・結合性を確証し強化する」(25 頁)という人間の在り方である。だが、このような特定の食べ物を「共食」する人びとの共同性は、一方で、排除の論理にもつながる。なぜならば、自分たちにとって神に供えるほど神聖な食べ物であるにも関わらず、それを食さない人びとは排除の対象となるからである。それゆえ民族間の抗争や排除が生まれる。
著者はまた、フォイエルバッハの感性の哲学にも注目し、人間が食べることの意味も考察していく。第II部では、コロナ以降とくに注目されるようになった「孤食」や、食の問題とジェンダーの視点から思索が深められていく。著者は、孤食をよくないものとする最近の言説を是認しつつも、食の哲学の観点から疑問を呈する。なぜなら、孤食を忌避し共食を推奨する風潮が、「伝統」に名を借りた復古主義、すなわち「食のイデオロギー」としての思潮をまとっている可能性があるからである。このような考え方は、フォイエルバッハが指摘したように、またナチスの歴史が示しているように、排外主義と結びつき得る。また孤食は、食事のスタイルとして資本主義的な食産業が推奨してきたものでもある。また、孤食を好む人もいる。そうした問題点まで考察を深めれば、孤食と共食とが単純に対立関係にあるとは言い切れないはずである。こうした前提から著者は、フォイエルバッハをはじめとした諸哲学者、食に言及する研究者の議論を援用しつつ、個として食を楽しむということと(フォイエルバッハの指摘する「感性」の部分)、共に食を楽しむということを分けて考え、それらがどうすればよりよいかたちで重なり合うか考えていくことが重要だと指摘する。それゆえ著者は、書名にもされているフォイエルバッハの「人間とは食べるところのものである」という言葉と、イエスの「人間は食べるために生きるにあらず」という言葉とが重なっていると感じるという一文で本書を締めくくっている(223 頁)。
このような内容ゆえ、食について哲学したい方には必読の一冊である。
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