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研究大会

1978.11.03

第1回研究大会(法政大学)

1978年11月3日 法政大学

※以下の文章は、吉田傑俊「研究大会、自由論論争、イデオロギー批判の問題をめぐって」『唯物論』11号、1979年5月、220~223頁より、第1回研究大会に関する記述を抜粋したものである。

この期間においてまず特記しなければならないことは、唯物論研究協会の第一回研究大会が、昨年一一月三日法政大学で開催されたことである。大会は約一二〇名が参加する盛会で、終日熱心な報告と討論がなされたことは喜ばしいことであった。

今回の大会は、開会のあいさつで芝田唯研副委員長もふれたように、唯物論を中心とした全国的規模の研究大会としては戦後における最初のものという意義をもつものであった。唯研に結集した今日の唯物論者、唯物論研究者は、戦前唯研の反ファシズムの輝かしい伝統を継承発展してゆかねばならないが、研究大会は、 その点で、「唯物論の研究の発展と交流をはかる」唯研の事業のなかでも中心的なものである。唯物論が、実践的観点を保持しつつ理論的水準をたかめ、国民的課題の解決に寄与してゆくための集約と方向性を示す場として、研究大会を発展させることは唯研全体の大きな課題といえよう。

今回の大会では、二つのシンポジウム、「自由の問題――市民的自由を中心に」、「弁証法と矛盾」と、 一〇名の諸氏による人研究発表が行なわれた。シンポジウムのテーマは、両方ともに、最近論争が進行しつつある、現在の唯物論が当面する重要な課題であり、適切な設定であった。以下に、シンポジウムでの報告の主な内容を、レジメと当日の報告にそくして、筆者なりに簡単に紹介することにしたい。

まず、「自由の問題について」は、清真人、藤田勇、宮本十蔵の諸氏が、それぞれ、「社会主義的民主主義の『倫理的基礎』と『市民的自由ヒ、「自由の問題――市民的自由について」、「市民的自由の歴史的性格―― 『プロレタリア革命』と『市民』的自由をめぐって」と題して報告した。

清氏は、まず、「個人的自由」、「自律的個人」、「個性」等のブルジョア的「市民的自由」が、いかにして社会主義的民主主義の「倫理的基礎」として継承されるべきか、という視点をたてた。 ここから、氏は、市民社会における主体の根拠を欲求的主体から倫理的主体へ転換させることにより個的利害と共同利害の対立の克服をめざした、ヘーゲルらドイツ観念論の「理性」的立場に注目し、その継承発展の必要性を提起した。その観点は、社会主義における「無自覚(無人格)的集団主義」から「人格的集団」形成という問題意識によって設定されたものであった。

宮本氏は、市民的自由を歴史的な形成物として位置づけた上で、近代を支配した二つの原理、資本と人間の論理において市民的自由を考察した。氏によれば、もともと市民社会における労働の成果の交換は、平等と自由の「生産的実質的基礎」であるのだが、資本の論理においては、資本に基づく生産様式の自由が展開するだけで人間の基本的人格的自由は圧服されることになった。氏は、人間の自己拡充の自由は、相対的な自立性をもって、歴史の中に定在してゆくものであることを強調し、今日の時点での人間の論理による資本の論理の逆転の必要性を説いた。

藤田氏は、市民的自由の歴史的性格を前提としつつ、共産主義への移行における歴史的段階での市民的自由のもつ意義と、新しい「公共性」との関係を分析した。この歴史的段階においても、労働者が「市民」としても現われ、この自由の享受者になることの意義の解明である。氏は、この段階においても労働の「種差」がのこり、その抽象化のところに市民的自由が成立すること、そして、生産過程における協同と公共の場における市民としての主体的営みが、たとえば労働における団結(権)と「結社の自由」のように、相互に補完的に保証され、ますます交叉してくることの意義を説いた。また、社会主義のもとでの「公共性」が、「労働の解放」を「人間の解放」に発展させた階級性の高次な自覚に基づくものであり、この高度な連帯性と自己規律が、社会の人為的操作機関としての「国家」を克服してゆくという方向性も提示した。

三氏の報告は、このように、近年論争のある自由の問題の中で市民的自由に焦点を定めたうえで、その今日における継承の方向、その本質的規定、そして、来たるべき時点における実践的意義を究明するものであって、有意義なものであったといえる。

いま一つのシンポジウムは、「弁証法と矛盾」をテーマとしたが、この問題も最近活発な論争があり、その解明は唯物論自体の位置づけや自然科学への方法的寄与に関わる重要な問題である。ここでは、有尾善繁、牧野広義、橋本剛の諸氏が、それぞれ、「矛盾とその諸形態」、「弁証法と矛盾」、「論理的矛盾と唯物論的反映論」と題して報告された。三氏の報告は、ともに論争をふまえて、現実的矛盾(弁証法的矛盾)と論理的矛盾との関係(前者が後者として現出しうるか否かが論争点である)をどのよ
うに位置づけるかに、論点を定めたものであった。

有尾氏は、矛盾がAとその対立関係にあるAが一定の条件qの存在によって成立する、AとA の二律背反的関係と定義した上で、矛盾の諸形態をつぎのように規定した.qが、主観に起因する主観的条件でしかなくAが主観的表象にとどまる時、矛盾は「主観的矛盾」であり、qが客観的なものとして成立する時「客観的矛盾」とする。この客観的矛盾にも二種あり、qがAにとって非本質的偶然的なものと、qがAに必然的に内包されAとAが同時に成立する矛盾があり、後者が「弁証法的矛盾」と規定される。有尾氏は、このような規定に基づき、見田石介氏の矛盾論を検討する。氏によれば、見田氏が主観的矛盾も弁証法的矛盾も、その本質において命題としては「>∪>。>」という論理的矛盾の形式をとると指摘したことを、すぐれた業績とみる。しかし、見田氏が、現実的具体的「否定」運動としての弁証法的矛盾をも、主観的矛盾と同様に論理的矛盾と規定したことは、両者の区別を不明稚にするとみる。その理由は、この場合の「論理的」なるものが、通常の形式論理的な意味を越えた「無条件的必然的」という意味をもつものであり、その使用は無用の混乱を起す、ということであった。氏の報告は、「矛盾」や「論理的矛盾」の概念の精密化を意図したものであった。

牧野氏の報告は、実在における現実的矛盾が論理的矛盾を犯すものではないことを主張する、論争上の一方の立場を代表するものであった。氏は、論理的矛盾の形式「SはPかつQ」である、にたいする見田氏の規定、この際のQが”Pを合意するものであることは承認するが、見田氏の挙げるような、現実的矛盾が論理的矛盾を犯す諸例には、反対の立場をとる。氏は、ここから、矛盾律の「普遍妥当性」と実在の「論理的無矛盾性」を主張するのである。それによれば、形式論理学の基本法則の「普遍妥当性」の根拠は、「対象の相対的不変性」の反映そのものではなく、「対象を反映するための規則」として「人間の思考能力の形成と共に獲得されたものであり、かつ客観的存在そのものに根拠をもつ」とみられるものであった。

橋本氏は、実在にたいする思考の反映的関係は、思考の内容だけではなくその一般的形式をも貫くという観点から、弁証法的矛盾と論理的矛盾を分離する観点は、実在と論理との反映論的理解の否定であり、論理としての弁証法を否定するものである、という立場をとった。氏は、同一律、矛盾律という思考形式としての論理の普遍性を認めつつも、それを無条件的、絶対的なものとはみない。また、矛盾律における否定辞に含まれる「否定」を、抽象的、無規定的な「無」とみる立場を形式論理学の形而上学化とする。氏は、論理的思考が同一律、矛盾律と無関係に出発できないものとしながら、矛盾の論理としての弁証法が、矛盾律を前提した上での「否定」論理とみる。つまり、「矛盾律の否定そのものをもどこまでも論理(否定性の論理=矛盾の論理)として見返すところに弁証法の成立があった」と規定されたのである。筆者自身には、橋本氏の指示する方向が、最近の矛盾論論争で唯物論の原則にたちもどって問題を解決するものと思われるが、このシンポジウムでの成果をふまえた、今後の諸氏の展開を期待したい。

両シンポジウムの内容は、このように、最近の二つの主要な論争問題を、全体として一歩前進の方向へと導くものといえた。ただし、報告者間のディスカッションや出会者との議論が、時間上の制約等で充分深まることができなかったように思える。今後の運営上の改善等が求められよう。

個人研究発表も、多岐にわたる内容であり、それぞれ充実したものであったが、ここではテーマだけを挙げておく。林田茂雄「社会的生産と私的所有の矛盾とは何か」、村山紀昭「マルクス主義の人間把握をめぐって」、宮原将平「『真空』についての一考察」、谷口孝男「レーニンの史的唯物論理解について」、藤井陽一郎「デボーリン批判と日本の自然の弁証法研究」、両角英郎「方法としての弁証法について」、池谷寿夫「フォイエルバッハにかんするテーゼ第六』における『人間的本質』概念の解釈をめぐって」、中河豊「近代の哲学的人間学展開の一相面」、芝田進午「核兵器廃絶とマルクス主義哲学」、福田静夫司「『教育勅語』のイデオロギーと国民のモラル」の諸報告であった。

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