2024.08.27
日程:2024年10月26日(土)~27日(日)
会場:東洋大学白山キャンパス6号館
参加費:2000円(一般会員・終身会員)、500円(院生・退職者割引会員・OD割引会員・非会員)
第47回 総会・研究大会 プログラム集(全体版)
※今年度は対面参加のみとなります。(シンポジウムのみ、後日映像配信の予定です)
※参加者は入構時に事前に登録した入構証をキャンパス入り口で示す必要があります。データをスマホで呈示するか、印刷したものを持参ください。26日、27日で別のデータとなっていますのでご注意ください。
会員の皆さまには、こちらの会員向け事前参加確認・総会委任状フォームにご回答をお願いします。
※※非会員の方で参加を希望される方はこちらの非会員向け事前参加確認フォームにご回答をお願いします。
駅からの経路
構内図
※開場となる6号館は、「西門」からが最寄りです。正門からではなく、西門よりおはいり下さい。
白山駅「A1」出口から、南へ進むと大きな通り(白山通り)に出ます。そこから北上していただくと西門に到着します(上図「駅からの経路」、下側の線のルート)。
・昼食・お買い物について
一日目10月26日(土)は学内のコンビニは休業しています。昼食・お買い物は、学食か、西門を出た近辺にあるコンビニや飲食店などをご利用ください。
「ポスト・グローバリズム」時代の暴力と抵抗――帝国主義の復活?
太田和宏(神戸大学) 「グローバル・サウス」の矛盾と対抗 報告資料
大屋定晴(北海学園大学) 新自由主義的帝国主義の存続と変容――地理的不均等発展の二重の論理から―― 報告資料
開戦から2年以上が経つロシアによるウクライナ侵攻、たった半年で死者が3万3,000人を超えたイスラエルによるガザ攻撃と、深刻な侵略や虐殺が相次いでいる。これらの戦争の背景と停戦すら実現できない現状を考えるとき、超大国がめざす世界戦略、とりわけ物質的利害についての洞察を欠かすことはできない。いかなる独占資本の利害を背景に大国は政策を決定し、どのような利害関係の布置のなかに世界は置かれているのだろうか。
二つの戦争に対するアメリカ合衆国の姿勢は大きく異なっており、その二重基準が批判されている。ウクライナ侵攻についてロシアの国際法違反を非難するアメリカであるが、ジェノサイドに等しいガザ空爆の惨禍を前にしても、イスラエルへの武器供与をつづけ、国連による停戦決議にくり返し拒否権を行使してきたのである。シオニズムがまぎれもなく植民地主義の側面をもつことに留意するならば、パレスチナの民衆の虐殺を止めようとしないアメリカは、100年以上つづく帝国主義とレイシズムの歴史をいまだ頑なに反復しているとも言えよう。
つとに指摘されるように、第二次世界大戦後に植民地からの独立を果たした諸国において、脱植民地化は十分に果たされなかった。それは、旧宗主国の側がそれまでの振る舞いを改める、いわば「脱帝国化」が不十分であったことを意味している。途上国への恣意的な開発協力は天然資源の収奪や先住民族の抑圧、そして開発独裁政権(ないし長期保守政権)の温存といった結果をまねき、さらに軍事協力によって従属国化を進めてきた。ただしその一方で、冷戦下の西側先進諸国では左派が一定の勢力を主張できたため、大量生産・大量消費を前提に、一国内での再分配に配慮したフォーディズム型の蓄積体制が成り立つこととなった。一定の保護主義的な貿易政策が自明とされていたのも、この時期である。
その後は、新自由主義の台頭、冷戦の終結、アメリカ一極化という歴史を経て、多国籍企業と金融資本が主役となる、むき出しのグローバリズムないし市場原理主義の時代が訪れる。ベトナム戦争からおよそ30年が経ってもなお、アフガニスタンやイラクを攻撃するアメリカの姿から、新しい〈帝国〉についても論じられることになった。アメリカは冷戦後も一貫して、資本の利害を背景に中東、ラテン・アメリカ、アフリカ等に介入をつづけ、各地域に対立・分断や紛争を引き起こしている。また、難民や労働者の国際移動がときに深刻な人道危機を引き起こしたのも、大国の利害が背景にあることは指摘しておかなければならない。
現在は、中国の経済発展と軍事大国化によって米中新冷戦の時代に入ったと言われ、インドやブラジルをはじめグローバル・サウスと呼ばれる国々の影響力も大きくなっている。アメリカは、先進国を民主主義陣営、中国やロシアを権威主義陣営と分ける対立の構図を描こうとするが、実際には対露・対中包囲網を形成するために権威主義的な国々とも経済協力や軍事協力を進め、日本もそこに急速に取り込まれつつある。
こうした状況を見ると、市場に対する国家の役割が極小化したと言えるような市場原理主義やグローバリズムの時代は、すでに終わりを迎えたかのようであり、このことを指して「ポスト・グローバリズム」と捉える向きもあろう。しかし、90年代以降に形成された製造業のグローバル・サプライチェーンは競争関係にある国々を跨いで広がり、これを機能不全に陥らせないよう地政学的リスクを回避することが、各国の政策にとって至上命題となっている。いつの時代も自国の独占資本に有利な市場環境を整備することがブルジョア国家の役割であるが、一時期に比べるとその役割は増大する局面に入り、と同時に国家間の対立を超えて利害は複雑に絡みあっていると言えよう。
その一方で、天然資源や原材料および労働力の供給地として「周辺国」が利用される地理的不均等発展という構造の下では、大土地所有や名望家支配、権威主義的体制といった国内の支配構造は維持されている。そこに「中核諸国」主導の巨大開発が持ち込まれても、旧来の支配秩序や階級構造が維持されるかぎり、民衆の生活は脅かされたままとなるのである。
グローバルなレベルで生起する暴力や格差・分断について理解するためには、イデオロギー的な対立やナショナリズムを超えて、唯物論的な観点から構造的に把握する必要がある。今回のシンポジウムでは、マルクス主義思想のなかで発展した「帝国主義」や「帝国」の概念を手がかりに、「ポスト・グローバリズム」とも一部で呼ばれる国際社会のこの現況を捉えることを試みたい。
シンポジウムでは、次の三つの問いを中心に議論を交わしてみたい。第一に、各国のグローバルな外交・貿易政策や産業政策はどのような利害を背景に生まれ、国家間の対立とどのように関係しているのか。第二に、グローバル・サウスの「開発」は、グローバル化が展開する中でいかなる役割を果たし、また問題を生んできたのか、さらにそれへの対抗と抵抗はどのように取り組まれてきたのか。そして第三に、これまでの帝国主義論や世界システム論の枠組みは、現状を理解する上でどのくらい有効であるか、である。こうした問いを媒介として、顕在化している暴力の背景とそれに対する民衆による抵抗の可能性について検討してみたい。
森原康仁(専修大学) | 「エコノミック・ステイクラフト」とは何か ――「分断」時代の世界経済―― | |
太田和宏(神戸大学) | 「グローバル・サウス」の矛盾と対抗 | |
大屋定晴(北海学園大学) | 新自由主義的帝国主義の存続と変容――地理的不均等発展の二重の論理から―― |
森原 康仁 Yasuhito Morihara
専修大学経済学部
本報告の目的は、近年急速に用いられるようになっている「エコノミック・ステイトクラフト」という概念の検討をつうじて、「地政学的緊張」下の世界における主要国の政策展開の歴史的理解を図ろうというものである。報告ではまず、世界経済の「分断傾向」の整理からはじめ、次にこの概念の用例とそれによって構成されようとしている現実を米国の例を引きながら示す。最後に、現在言説としてこの概念が普及している理由を、ポスト冷戦20年間の経験との関係で示したい。
なお、以下では、図表、注記、参考文献等は紙幅の関係ですべて割愛していることをお断りしておく。
世界経済の「分断傾向」 が進行しているようにみえる。これは言説のレベルでは2010年代半ば以降に顕著にみられるようになったことだが、足元で重要なことは、「分断」が経済指標においても確認されるようになっていることである。報告では、このことを貿易、投資および外貨準備という3つの視点から整理し、おおむね過去10年間において経済的グローバリゼーションがあきらかに停滞していることを確認する。
もっとも、2010年代に入って横ばいを続けているとはいえ、貿易開放度の絶対値は依然として高い水準を維持してもいる。すなわち、世界の貿易開放度は、現時点では第二次大戦後から冷戦崩壊前までの上限はもちろん、ポスト冷戦の10年間の上限すら下回っていない。したがって、以上がより長期の時間的経過をともなって生じたポスト冷戦期の極端なグローバル化を覆すものであると即断することはできない。
こうしたことから、ある種の経済学者は、世界経済の「分断」傾向を「パレート支配的な均衡」からの偶発的かつ短期的な逸脱であると考える。しかし、こうした想定はナイーブであると考えるのが、ある種の国際政治学者や国際政治経済学者の発想でもある。報告者は、一方では、グローバリゼーションが完全に逆回転しているという評価はできないと考えるものの、他方では、事実にもとづき生じている変化を素直に評価すれば、後者のような評価を簡単に否定することもまたできないと考えている。いずれにせよ、問題は、直接的には政治的合理性の次元から生じていると考えられるため、過去の経済的現実のみを前提して事態を評価することは不十分であろう。
そこで、視点を国際政治に移したい。2010年代以降、ほぼ死語化していた「地政学」というキーワードが急速に使用されるようになった。さらに米中摩擦が激化した2010年代後半には「経済安全保障」というキーワードも急激に用いられるようになっている。この時期は、WTO紛争解決システムの機能不全もあいまって、経済が外交、軍事、安全保障の手段として利用されるケースが頻発した時期に当たる。
一方的措置一般は1990年代以前にもみられたが、2010年代に入ると、政治的影響力の行使を目的として一方的措置を発動する「経済的威圧 economic coercion 」が目立つようになった。こうした中で、日米をはじめとした「西側」主要国の外交・安全保障当局が急速に用いるようになり、学界においても注目を浴びるようになっているのが「エコノミック・ステイトクラフト economic statecraft 」(以下、ES)という概念である。同概念の現代的初出は通商摩擦の激化した1980年代に求められるが、ここでは、「軍事的措置を支援するための経済政策」ではなく、「軍事力によらず経済力によって直接『ターゲットの行動・思想の変容』をもたらそうとする」外に向かっての国家の行動として理解しておきたい。
2022年7月22日に米上院外交委員会で開催された公聴会「米国の国家安全保障とES――21世紀における米国のグローバル・リーダーシップを確実にする」において、ホセ・フェルナンデス国務次官は、「闘い」、「対抗」すべき事柄として、ロシアと中国の動向を取りあげ、具体的な取り組みとして、①同盟国および同志国との連携、②サプライチェーンにかんする取り組み、③食料安全保障政策の3点を指摘している。
注意深い読者ならば気づくと思われるが、米国のこうした対外姿勢は21世紀になってはじまった話ではない。むしろそれは、すくなく見積もっても米国が明確に覇権を握った第二次大戦以降一貫した姿勢であったというべきである。また、経済的相互依存を他国にたいする強制手段として利用する国家の行動は、いまにはじまった話ではない。アルバート・ハーシュマンが『国力と外国貿易の構造』(1945年)で析出した「外国貿易の影響力効果」で念頭に置いたのはナチス期のドイツであった。資本蓄積に対する系統的な国家支援という意味でのESも21世紀になって初めてあらわれたものではない。
つまり、ES概念を言説ないしナラティブとして理解するには、その用例を整理するだけでは不十分なのであり、こうした概念がいまになって持ち出されている根拠を示す必要がある。では、現在注目されているESの歴史性はいかなる点に求められるのか。おそらくそれは、1990年代以降のポスト冷戦の20年間の経験との関係で考えられなければならないだろう。以下、2つの側面に分析して整理してみたい。
第1は、「ワシントン・コンセンサス」に典型的にみられる、資源配分における市場の役割の過剰一般化にたいする反省という側面である。
純粋に論理的に考えれば、政府が失敗する場合があるとしても、市場が失敗しないというわけではない。また、市場が政府を完全に代替できるわけでもない。これは、イノベーションにおける経路依存性およびそれにともなう複数均衡の問題や、ある種の「戦略部門」の初期段階における過少投資の回避を考えればすぐに理解できることである。ゆえに、はやくも1990年代半ばには、そうしたことを批判する議論が方法論の違いを超えてあらわれてきた。しかし、むしろその後の現実の経過をみると、米国経済の「ニューエコノミー」やシリコンバレーの華々しい成功の中で、対内・対外経済政策運営における市場至上主義的、国際主義的傾向がいっそう強まったのは周知のとおりである。
つまり、以上のような論理的想定が大国の政策に反映されるには、偶然的な出来事もふくむ相応の歴史的条件が必要である。こうした条件がそろったのは2010年前後であった。その条件とは、具体的には、①金融政策依存のマクロ政策運営の限界が意識されたこと、②現状変更をともなう大国の行動によって外交・安全保障環境が激変したこと、③「西側」主要国の国内政治においてポピュリズムが浸透したことが挙げられる。
第2は、ポスト冷戦期の米国一極集中の下で浸透したナイーブな想定が相対化される中でES概念が持ち出されているという側面である。ここでのナイーブな想定とは、ソ連崩壊によって米国と対等に競争する主権国家が地球上に存在しなくなった以上、米国主導の「リベラルな国際秩序(LIO)」が国際秩序形成の唯一の選択肢となりうる(「歴史の終わり」)、というほどの意味である。
ここでは「脅威」がテロリズムなど非国家アクターにずらされる一方で、大国間の大規模な戦争はもはや起こらないと考えられ、国家安全保障の焦点は「低強度紛争」に置かれた。また、こうした中で政府が主導して国内に軍事産業基盤を維持することへの関心も低下した。中国が米国を含む西側主要国からの直接投資によって急激な成長を遂げ、2001年にWTOに加盟したことは、LIOこそ唯一の選択肢であることを裏付けるように思われた。しかし、中国は米国主導のLIOのすべてを受容したわけではなかった。中国は、おおむね習近平政権に移行する前まではLIOの内側での「体制内改革」を志向していたが、習近平政権の中国は新たな国際秩序構築にむけたとりくみを明確に強化するようになっている。
ようするに、中国が米国主導の国際秩序へのコミットメントを明確にしない以上、軍事産業基盤の国外依存を無限定に容認するわけにはいかなくなるし、中国との技術力の格差も国家安全保障の観点からより厳しくコントロールされる必要が出てくるのである。
太田 和宏 Kazuhiro Ota
神戸大学大学院 人間発達環境学研究科
Development(「開発」「発展」)とは時代ごとの社会条件に規定された未来社会の構想であり、またそれを実現する具体的営為である。1980年代以降、現在に至るまでの40余年の間にDevelopmentの在り方も変化してきた。本報告では、近年のDevelopmentを巡る国際社会の政策と変化、それへの対抗・抵抗の動きについて検討をしたい。
現在、世界では「持続可能な開発目標」SDGsへの取り組みが盛んに行われている。2015年に国連で採択された17の共通目標を2030年までに達成しようというキャンペーンである。そこには貧困や格差、教育、ジェンダー、雇用、環境問題など世界の抱える重要な課題が含まれ、「だれ一人取り残さない」というスローガンとともに多くの人々の共感を得ているかに見える。グローバル・サウス、「開発」の視点からみれば、このSDGsの取り組みは80年代以降の試行錯誤を踏まえて新しい段階に世界を導く試みのように映る。
1980年代にグローバル・サウスが「構造調整政策」を通じて世界銀行・IMFの主導する国際開発体制に取り込まれる一方、開発体制の周縁部からは貧困・格差、環境問題など深刻な課題に対して「持続可能な開発」「人間開発」「ジェンダーと開発」「参加型開発」などの新しいアプローチが提唱された。それらは開発への新しい視点を提供し部分的な成果をあげつつも、問題を抜本的に解決するまでには至っていない。
国際開発体制にとって2000年は一つの画期をなす年といえる。構造調整政策、新自由主義的方策のもたらす歪みを背景に、世界銀行が社会政策的アプローチを提案し始める。従来、グローバル・サウスの国々に対する融資条件として経済自由化・市場化の徹底と社会政策の縮減を迫っていたのに対して、貧困・格差問題解決に焦点を当てた「貧困削減戦略文書」PRSPの策定と提出を義務づけたのである。そこでは市場原理に反するとして従来排除されてきた社会政策的対応が求められ「ポスト・ワシントン・コンセンサス」とも呼ばれた。ただし、これが新自由主義的政策の根本的転換を意味したわけではない。実際2000年の世界銀行による『世界開発報告』では「貧困」をテーマとして論じながら、貧困者を社会的救済の対象ではなく、潜在的な労働力「資源」であると位置づけた。この頃から、教育と健康医療分野の課題が開発政策の重要な柱となる。それは貧困者を「良質な労働力」として再生産し市場に提供することが目的だからである。
こうしたグローバル・サウスの自由化=世界資本主義体制への取り込みと深刻な社会課題への対処が、国連「ミレニアム開発目標」MDGs(2000-2015)をへてSDGsへと集約され形となっている。しかしMDGsとSDGsは一見同様の課題を共有しているかに見えながら、両者には大きな違いがある。前者は社会的諸問題に対処しつつ、いかにグローバル・サウスを世界資本主義に取り込むのかが課題であったのに対して、後者はグローバル・サウスを利用していかにグローバル・ノースの存続を模索するのかが目的となった。2008年リーマンショック、2011年欧州経済危機が、資本主義体制の周辺地域ならぬ中心地で生じた衝撃とその後の停滞をいかに打開するかが喫緊の重要課題になったからである。
主流派の国際開発政策を根本的に批判する「批判的開発学」CDSの取り組みがある。「脱開発」(post-development)の流れを汲みながら、単に貧困問題、環境問題、ジェンダーなどの部分的課題の解決を目指すだけではなく、それらを生じている構造的要因を批判的に捉えようとする。そでは市場主義や資本主義体制のみならず、その前提にある近代modernity、成長神話、普遍主義universalismに対し疑問を投げかけ、新しい多様性pluralismを追求しようとする。その試みが実践面で成功しているとは必ずしも言えないものの、主流派からも同様の問題意識が2010年代前後から提起されるようになってきた。OECDによる「より良い生活指標」、国連による「幸福度」の提唱はその好事例である。グローバル・ノース社会でさえも従来歩んできた近代化と成長路線に疑念を抱かざるを得ない課題や社会的疲弊を経験していることを背景としている。こうして新しい社会構想であるDevelopmentそのものもが新しい文脈のなかで問われている。
グローバル・サウスからの抵抗はどのように展開してきたのか。グローバル化が進展し現今、サウスが団結しノースに対峙する1970年代に見られた単純な構造はみられない。むしろ大半のグローバル・サウスの国々はノースの開発モデルを取り込むことで経済成長をとげてきたし、現在もその路線は変わらない。一方、グローバル・サウスの中も多様である。国によって具体的な戦略が異なるだけでなく、各国社会においても階層、集団によって生活戦略が異なる。いわゆる労働者、住民の立場に絞ってみても目指すところは多様である。それは国家単位の発展モデルが必ずしも唯一の枠組みではなくなっただけでなく、グローバルな資本の動きと増大する国際政策の影響力、また情報社会化が進む中で、さまざまな選択肢を提供されるサウスの人々が分断化され、組織的行動よりも個人レベルの生存戦略を選び取るようになってきたからである。労働運動や農民運動などの階級運動のみならず、NGO運動や草の根活動すら求心力を減じつつある。「もう一つの発展」をめざして2000年代に影響力を持った「世界社会フォーラム」もかつての勢いを失なっている。
しかし、貧困、格差、環境等の諸課題が解決したわけでは決してなく、競争がより厳しくなる中、それらはむしろ深刻化・潜在化しつつある。個人レベルの生存戦略に依存する傾向が強まる状況下、現況を大きく変える可能性を持つ契機として、社会運動などの戦略的組織的な動きのほか、海外移民・難民、非合法的暴力活動があげられる。3億近い人々が国境を超えて移動することで、各国家、とりわけ受け入れ国が築いてきた社会制度・文化は根本的な変容を迫られている。またイスラム国ISやロシアの武力による国境変更などの非合法的暴力の行使は、現在の国民国家の在り方、国民国家体制そのものを揺るがす。これら従来の基本的枠組みの再構築を迫る事態を生ぜしむるほどにグローバル社会は深刻な歪みと矛盾を抱えていると言えるのではないだろうか。
以上のような問題をより具体的な文脈にそって検討してみたい。
大屋定晴 Oya Sadaharu
北海学園大学経済学部
二〇二二年二月からのロシア軍のウクライナ侵攻、そして二〇二三年一〇月からのイスラエル軍のガザ地区への武力攻撃は、一九九〇年代以降の新自由主義的グローバリゼーションからの転換点を意味しているのか。それともグローバリゼーションの深層にあった政治経済構造が再び露わなものとなっただけなのか。かつてアントニオ・ネグリらは「帝国」を唱えて二一世紀を展望しようとしたが、米中対立も喧伝される現状は、それとは異なるように見える。ジョヴァンニ・アリギは、その独自なサイクル理論に依拠しつつ、中国の台頭を、武力なき新たな覇権(ヘゲモニー)の確立と予測したが、同時にアメリカとの軍事衝突への帰着も否定はしなかった。現実は、アリギの懸念の方に向かっているようである。このような流動的現状においてこそ温故知新の試みが不可欠だと思われる。本報告は「帝国主義」概念に立ち戻り、その再検討を試みる。
古典的な資本主義的「帝国主義」概念は、かつて一九世紀後半から二〇世紀前半に見られた欧米諸国(+日本)による植民地獲得競争と世界の領土分割、他方で金融資本を中心とする独占資本主義体制の確立を前提として構築された。そこには帝国主義本国での「国民的利害」による階級闘争の緩和、あるいは植民地支配の正統化のための人種差別主義の勃興といった政治的・文化的・イデオロギー的諸側面も伴われた。
しかし第二次世界大戦後、冷戦体制下での脱植民地化、そして多国籍企業の展開と「発展途上」国における域外(オフショア)生産は、古典的「帝国主義」概念の再検討を余儀なくさせた。そして冷戦体制の崩壊と「グローバリゼーション」現象は、「帝国主義」概念そのものの失効さえももたらしたかに見えた。
だが「グローバリゼーション」は「フラット化」などもたらしはしなかった。その歩みは、湾岸戦争、北大西洋条約機構によるユーゴスラヴィア紛争への介入、アメリカ同時多発テロ事件に端を発するアフガニスタンへの米軍侵攻、そしてイラク戦争など、さまざまな地政学的対立と紛争をも伴った。この動向は、「集団的三極帝国主義」、「帝国主義の第三期」、「冷戦体制後の帝国主義」、アメリカの覇権にもとづく「新自由主義的帝国主義」などとも呼称されうる。問題は、この地政学的状況と、二〇〇七~〇八年の金融危機以降も存続している資本主義体制との連関である。あるいは資本は傾向として、地政学的競合関係を促すのであろうか。アレックス・カリニコスの言葉を借りるとすれば、「資本主義に内在する不均等複合発展への諸傾向が、複数国家体制維持のための強力な遠心力の源泉」であるとすれば、それは今日、いかに貫徹しているのか。
この問いにたいして、近年のマルクス主義理論には三つのアプローチがあると思われる。第一に、従属論ならびに世界システム論の系譜につながる議論である。これによれば「帝国主義」とは、中心=周辺関係にもとづく資本主義的分業、ひいてはグローバル・ノースによるグローバル・サウスにたいする経済的・政治的支配にほかならない。そして、その支配の核心は、労働力価値の国際的差異にもとづく過剰搾取にある。この主張は、サミール・アミンに典型的であり、近年ではジョン・スミスなどに継承されている。第二に、マルクス主義地理学の帝国主義論である。生産資本・商業資本・貨幣資本の地理的集積は、独特な地域構造を形成するとともに、領土的社会組織としての資本主義国家の動向と連動する。そして恐慌の局地的切り換えは、その負担を特定地域に押しつけようとする地政学的対抗関係を惹起する。これが――デヴィット・ハーヴェイによれば――一九九〇年代以降のアメリカ主導の「新たな帝国主義(ニュー・インペリアリズム)」の内実である。第三に、一九八〇年代にC・ハジミカリスが提唱した「価値の地理的移転」論である。利潤率の均等化メカニズムは、地理的には――各国の政治的動向と関連しつつ――、低賃金の労働集約型産業国から資本集約型産業国への剰余価値の移転を生じさせる。近年のハーヴェイも、政治的・制度的編制を伴った「地域的価値体制」間での「剰余価値の再配分」を指摘している。またC・パーンライターらは、直接投資収益データにもとづいたその実証研究を発表している。
この三つのアプローチに、社会的再生産や軍事産業と国家権力との関係性、あるいは自然(「第二の自然」も含む)の無償的収奪などの論点が組み込まれながら、地理的空間における資本の分散と集中の理論化が図られている。
無論、以上の議論には、たとえば資本の危機傾向をどのように解するか(過少消費説か、部門間不均衡か、利潤率の傾向的低下か)をめぐっての齟齬などがある。しかし、これらに通底するのは、資本の地理的不均等発展の探究にもとづく現代「帝国主義」理解の試みである。
さて資本の空間の地理的編成は、領土密着型の社会組織と絡み合い、それを独特なかたちで変容させながら、資本主義的国家へと再編させてきた。そこを基点として、資本の地理的不均等発展の論理は、さらに広義の地理的不均等発展の理論に開かれる。帝国主義的関係性のなかにある都市、地域、そして国家のあり方は、それぞれの歴史=地理的特異性に根ざした経済的・社会的・政治的・文化的諸条件と連関する。この「歴史の決定不全性」の分析を課題にするのが、広義の地理的不均等発展の理論である。それは、歴史地理環境を理解する諸契機を弁別し、その偶然性と矛盾とをはらんだ実践的展開の考察を目標とする。
そして、この開かれた理論は、帝国主義への抵抗運動を考察するさいの知的手がかりにもなる。私見では、現代マルクス主義理論には、新自由主義的グローバリゼーションへの対抗運動にたいして三つの解釈があった。第一に、ネグリらの「マルチチュード」論に代表された変革主体断絶論、第二に、組織的賃金労働者を対抗運動の中核と見なしたカリニコスの変革主体連続論、第三に、資本-賃労働関係や全般的商品化に一定の主導性を認めつつ、現代資本主義社会の多様な矛盾を接合するような対抗運動を展望した媒介的変革主体論である。アミン、ハーヴェイらの議論は、この第三の部類にあたる。そして、この第三の立場の理論化にあたって再びわれわれが見いだすのは、地理的不均等発展の二重の論理なのではある。
こうして帝国主義の現代的展開は、資本の地理的不均等発展と広義の地理的不均等発展の交差点において理解されるのかもしれない。本報告は、この見地から、新自由主義的帝国主義の存続と変容を考える。そして可能であれば、現代日本の国際的位置についても、その検討を試みたい。「グローバル経済大国」をめざした現代日本国家は、アメリカ覇権のもとでの「亜帝国主義」国家でもあるのか――これがもう一つの論点である。
石井潔(放送大学) | 保守主義批判としての『高慢と偏見』 | |
佐久間啓(同志社大学・院) | 修正主義論争」再考――ベルンシュタイン ・カウツキー・ジョレスの「革命的改良主義」―― |
石井 潔 ISHII Kiyoshi
放送大学静岡学習センター
オースティンは、一般的には、時代や社会の荒波とは切り離された静かな田舎で生活する数家族の限られた登場人物たちの狭い人間関係の中だけで全ての出来事が完結する「閉じられた」世界の物語の作者であると見做されることが多い。これに対して、『文化と帝国主義』(1993)に収められているサイードの有名な論文「ジェーン・オースティンと帝国」は、『マンスフィールド・パーク』に即して、西インド諸島の砂糖プランテーション経営の問題の取り扱いが物語全体の構成と有機的に関連しており、帝国主義的な植民地的支配を支えるイデオロギー的な関係が家族間あるいは家族内の人間関係に忠実に反映されていることを明らかにし、オースティンの世界が同時代の社会の「外部」にあるわけではないことを示している。
しかし、彼女の作品と彼女の生きた時代との関係には、単なる時代的「背景」以上のものがある。『分別と多感』『高慢と偏見』という彼女の代表的小説の原型が執筆された1790年代は、隣国フランスでは、フランス革命からナポレオン戦争に至る社会的大変動が続き、英国においてもそれに呼応したペインやゴドウィン、プライスやプリーストリらの啓蒙思想家=革命支持派が活発な言論活動を展開していた時期であった。また彼女自身も従妹を通じてフランスとのコネクションを持ち、父の運営していた教会学校の生徒の保護者にはウルストンクラフトの支援者も含まれているなど、当時10代後半から20代前半の社会的関心と知的好奇心に満ちた若い女性として、啓蒙思想とそれに対するバークらによる保守主義的批判の応酬の現場に身を置いていた。
H.ケリーは『ジェーン・オースティン:秘密のラディカル』(2016)で、フランスにおけるジャコバン独裁の成立と英仏間の全面戦争を境として、英国における革命支持派に対する弾圧が強化されるなかで、オースティンは自らのラディカルな教会批判や身分制社会批判、奴隷制批判を彼女の作品のプロットや構成要素に目立たないように、しかし同時代の読者ならば読み取り可能な形で隠し、密やかな抵抗を試みた「秘密のラディカル」であったという立場から、主要な作品の再解釈を行っている。
例えば『高慢と偏見』において嘲笑的に扱われるコリンズ牧師が薦める女性の「正しい」生き方についての助言集の著者フォーダイスはウルストンクラフトの『女性の権利の擁護』で女性の受動的な生き方を肯定する聖職者として厳しく批判されており、ヒロインのエリザベスが最終的に結婚相手として選ぶダーシーに対して常に対等な関係を求める点にも明確なフェミニズム的視点が反映されているとされる。また作品の題名ともなっている「偏見」はバークのフランス革命論のキータームから来ており、その他にも大貴族への批判や商人階級への高い評価などに著者のラディカルな思想的立場が表れているとされる。
このようなオースティン解釈に対しては、彼女が基本的には保守主義的作家であったとするM.バトラーの『ジェーン・オースティンと思想闘争』(1975)に代表される、ケリーとは相反する見解もあり、報告の中ではそれらの研究の論点も併せて紹介したい。
佐久間 啓 SAKUMA Kei
同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科
十九世紀末に起こった「修正主義論争」とは一体いかなる論争だったのだろうか。一般に、ドイツ社会民主党(SPD)そして第二インターナショナル全体を揺るがした一大論争は、当時SPDに入党したばかりだったローザ・ルクセンブルクのセンセーショナルな論文を通じて、「社会改良か革命か」という二者択一をめぐる「修正主義者」と「正統派マルクス主義者」の理論闘争として理解されている。エドゥアルト・ベルンシュタインに代表される修正主義者が、正統派マルクス主義の思弁的傾向を攻撃し、議会制と市場経済の枠内での「社会改良」を唱えた一方で、ルクセンブルクやカール・カウツキー、アレクサンドル・パルブスといった正統派は、その挑戦を真正面から受け止め、権力掌握と計画経済への移行のために「革命」の必要性を改めて強調し、勝利したというものである。
たしかに若きルクセンブルクは、革命を成し遂げるために「ブルジョワ的法秩序」を外から打ち破る「プロレタリアートの独裁」が必要だという急進的な立場を堅持していた。さらに、フリーリヒ・エーベルトらベルンシュタインの「追随者」は、社会主義を放棄した単なる改良主義者(改良的改良主義者)としてふるまっていた。しかし、両陣営の指導的な地位にあったベルンシュタインとカウツキーは、十九世紀後半を通じた政治経済的状況の変化、すなわちプロレタリアートの「国民化」、議会制民主主義の定着、そして「資本主義の柔軟性」を察知し、既存の国家を外部からではなく、その内部から破壊する方法を模索していた。すなわち彼らは、「社会改良か革命か」という二者択一ではなく、「社会改良から革命へ」という内破の可能性を議論していたのである。
それでは、ローザ・ルクセンブルクが提示した大胆な枠組みにおいて忘却されてきた、「社会改良から革命へ」という平和的な移行をめざす「革命的改良主義」とは一体いかなる思想だったのだろうか。本報告では、この問題を考える上で、ベルンシュタインとカウツキーにくわえて、フランスから修正主義論争に積極的に介入したジャン・ジョレスを考察の対象に含める。ジョレスは、共和国の社会主義者として、ドイツ帝国の社会主義者とは別の観点から修正主義を捉え、論争の実践的展開として一八九九年に起こった「ミルラン入閣問題」では独創的な「革命的改良主義」の論陣を張っていた。したがって、ジョレスを通じて、ドイツの理論闘争を相対化し、「革命的改良主義」を多角的に把握できるだろう。
具体的には、第一に、ベルンシュタインの主著である『社会主義の諸前提と社会民主党の任務』を読み直し、その知られざる革命的性格を明らかにする。第二に、カウツキーの『ベルンシュタインと社会民主主義の綱領』を取り上げることで、ベルンシュタイン批判の要点を確認するとともに、カウツキー理論を改めて吟味する。第三に、ジョレスが第三者の視点からカウツキーとベルンシュタインの論争を総括的に批評した論文「ベルンシュタインと社会主義的方法の発展」と、第二インター・アムステルダム大会で展開したドイツ社会主義に対する根本的な批判を中心に検討する。そして結論として、これまで忘却されてきた修正主義論争における「革命的改良主義」の見取り図の提示を試みる。
楊逸帆(青醒人共生文化智庫、東呉大学哲学研究科・院) | 〈ユニバース〉と〈メタバース〉の二重プレッシャー――人工性が〈世界〉から独立したら―― | |
孫宜燮(ソン・ウィソップ)(一橋大学・院) | ホームレス研究における「統合論」と「解放論」という二重性 : 岩田正美氏と青木秀男氏の研究から考える |
楊 逸帆(アドラー・ヨウ) Adler YANG
青醒人共生文化智庫、東呉大学哲学研究科・院
本発表の目的は、〈メタバース〉という新たな概念を、我々の時代と将来の技術社会的苦境、特に人類に対する人工の脅威に対する人間の長年にわたる不安に光を当てる方法で概念化することである。
これを達成するために、メタバースを「人工環境」の歴史に位置付け、それを小原秀雄とNoah Yuval Harariに参照した人間、世界、〈ユニバース〉との関連で考察する。ユニバースとは、人間に先行する背景環境であり、人間はそこに位置しているが、人間の意図によって制御できない。この強力な環境で生き残るために、人間は、人工的なものを作り出し、ユニバースによって課された生存の課題に対して、我々の「ハビタット」、すなわち我々が住むことができる〈世界〉を構築し、守り、維持する。こう見ると、世界は最初から人工的なものである。
しかし、我々が住む世界は、主にギリシャ・ローマとユダヤ・キリスト伝統から進化した特殊な人工性、すなわち〈現代人工性〉に支配される。上柿崇英の〈自己完結社会論〉に参照すれば、現代人工性の独特の特徴は、〈意のままになる〉解放を求めることで、多面的なパラドクスを引き起こしている。現代人工性の物事を制御する力を通じて、意のままになる解放を求めれば求めるほど、逆に状況が制御できなくなるだけでなく、人間そのものはより脆弱になり、現代人工性によって制御されるようになる。
上記とビッグデータ、AI、IoT、Code is Law(コードは法である)などの新興技術の出現を踏まえ、次の仮説を提案する。ある時点で、現代人工性は最終的に人間の制御から独立し、我々が置かれている新しい背景環境を形成するかもしれない。この環境は、物質的にユニバースに依存し、ユニバースの影響を受けることができるが、ユニバースの「自然法則」ではなく、この新たな背景環境自身の法則に支配されているため、ユニバースに還元することはできない。新たに独立した〈新現代人工性〉は、もはや我々が自由に利用できる「手段」とはならず、完全に把握することができず、常に人間が「意のままに」働くわけでもない太陽、海、大気のようになる。言い換えると、過去には、我々は生き残るために制御不能なユニバースに対処する必要があっただけであったが、新たな未来には、我々の世界がその存在を継続するために、ユニバースに加えてメタバースと呼ぶ新近代人工性によって形成された新しい制御不能な環境にも適応しなければならない。
この仮説は、人工性に直面したときの我々の実存的不安を、それに「適応」するための生存と進化の圧力として、新たな説明を提供するものであると主張する。つまり、人工性の脅威は、AI意識の生まれ、テクノ失業、または人類を絶滅させる力から生じる必要はなく、単に、絶えず変動するユニバースと制御・予測不可能なメタバースに直面して生存し適応する手段をますます失う「二重背景環境に絞られている」事態によって十分に生じられるからである。
孫宜燮(ソン・ウィソップ)
一橋大学大学院社会学研究科
本報告は、ホームレス研究には大きく二つの理念型があると主張するものである。すなわち、一方は、差別研究や解放社会学といった学問を軸にして当事者や運動団体によって形成される対抗文化に焦点を当て、その主体性を積極的に評価しようとした「解放論」である。この場合のホームレス研究は、寄せ場研究を母体として構築されるとし、1990年代に急増する野宿者問題を寄せ場の衰退に伴って寄せ場問題が拡大したものだとみる傾向にある。他方、貧困研究や社会福祉学のような領域では、90年代から急増する野宿者問題は主に社会政策の失敗から起因するとみて、その対策として社会運動よりも福祉国家の役割を重視するような傾向にある。これを「統合論」と呼ぶことにする。
「統合論」と「解放論」を代表する研究者として、岩田正美氏と青木秀男氏を挙げられる。本報告では、両氏の著書や研究論文、雑誌論文といった資料をもとに、二つの理念型がいかに構築されたのか、またそれらがいかに二律背反の関係にあるのかを検討する。 岩田正美氏は、資本と労働の流動性を前提とするグローバル化する現代社会において、雇用のフロー化のゆえに就労と生活が不確かなものとなり、貧困の極端な形態としてホームレス問題が発生することになるが、その生成過程において社会政策も加担しているとみている。ただし、この問題に対応するために打ち出される社会政策は、従来の家族が担当した個々人の生活を統合する機能に対して代替的なものであり、社会統合のための中核な手段となるような両面性もある。すなわち、社会統合を図る社会政策の失敗が社会的排除の問題を生み出すことになり、その結果としてあらわれる極貧層のホームレスを「われわれの社会」の中に統合するためには、より積極的に社会政策を発展させなければならない。
他方で、青木氏は、差別研究と寄せ場研究の議論を継承しながら、ホームレス研究に取り組んできた。氏は、全体主義的な政治権力や素朴な社会政策が唱えるような「社会統合」に対して、それは排除の「タテマエ」であり、また貧困と差別を隠蔽すると同時に「正真正銘の人間」の顔をも隠すような装置であると指摘する。そこで青木氏はホームレス状態の人びとを排除しようとする政治権力に応答する対抗文化をつくり、差別され抑圧された彼らの「人間解放」を成し遂げるべきだと主張する。したがって、青木氏のホームレス研究は、差別研究を系譜としながら「解放論」というべき理念型を構築してきたといえよう。
以上の両氏のホームレス研究から、社会的形成過程にせよ介入の過程にせよ、個人と国家という関係性に重点をおいて社会統合の二通りの意味から「統合論」と「解放論」という理念型が構築されたことが指摘できよう。また、二つの概念がホームレスという現象に対して互いに異なる経験的妥当性を要求しており、しかもその論理的妥当性が担保される意味で二律背反しているといえよう。さらに言えば、それらはホームレス問題に対する社会政策的な介入をめぐって積極的か反省的かという関係性におかれ、(市民社会との積極的な連携を前提とする意味で)福祉国家を成熟させていくための弁証法的な関係にあるともいえる。
市井吉興 ICHII Yoshioki
(立命館大学)
立命館大学国際平和ミュージアム(以下、「国際平和ミュージアム」)は「平和と民主主義」という立命館大学の教学理念と「平和のための京都の戦争展」という反戦平和を求める市民運動の願いとが共鳴し合い、世界初の大学立の平和博物館として1992年に開館した。開館以来、国際平和ミュージアムは国内外の平和博物館と連携しながら、2005年の第1期リニューアルを経て、戦争体験・記憶の継承とともに、平和創造に向けた研究・教育の拠点となっている。
2018年度より着手された第2期リニューアルには約5年もの歳月が費やされ、2023年9月23日(土)よりリニューアルオープンしている。しかし、大げさな言い方を許していただくならば、今次リニューアルは、国際平和ミュージアムが大学立博物館として歴史的に蓄積してきた研究・教育上の成果を手放し、平和創造に共同して取り組む社会的な連帯を揺るがしかねない危機との「闘争」を経て成し遂げられた。
今次リニューアルの過程で何が起こったのか。その詳細については本企画本番に譲るが、その一端は述べておくべきであろう。まず、国際平和ミュージアム事務局の一部職制と一部学芸員(以下、「職員事務局」と称す)が展示構成の審議過程において、民主主義的な手続を軽視し、特定の学芸員を執行部教員の抗議を無視し、排除した。このような「嫌がらせ」と並行して、職員事務局は学内外の学者・研究者の研究成果や意見を排除し、展示からアジア・太平洋戦争における日本の加害責任を後景に退かせる展示構成案を展示業者に作成させた。当然のことながら、彼らの展示構成案は白紙撤回された。
このような職員事務局の「暴走」は立命館学園の最高議決機関で決定された今次リニューアル関連の合意文書から逸脱しているだけでなく、「平和と民主主義」という教学理念を体現した国際平和ミュージアムの存在意義を無視したものにほかならない。ただ、拙稿(市井, 2024)は、彼らの「暴走」を従来の保守的な「歴史修正主義」と短絡的に把握してはならないと指摘した。
本企画では、今次リニューアルを立命館学園の内部問題として矮小化するのではなく、小泉純一郎内閣による「ヴィジット・ジャパン・キャンペーン」(2003年)から取り組まれている日本の観光立国化というコンテクストに位置づけ、リニューアルから見えた諸課題の分析を試みたい。たしかに、今次リニューアルは先のリニューアル後の政治的・経済的な情勢の変化(たとえば、「戦争のできる国づくり」に向けた政治的な諸策動、東日本大震災と原子力災害など)に対応する展示の見直しとして、2015年度より国際平和ミュージアム執行部内部で議論をスタートさせた。しかし、今次リニューアルが直面した諸問題を振り返ると、別のコンテクスト、つまり、日本の観光立国化の下で進められた「文化財保護法改正」(2019年)、「文化観光推進法」(2020年)、「博物館法改正」(2023年)といった新自由主義的な文化政策と平和博物館の関係が論点として浮かび上がってくる。当日は、新自由主義的な文化政策のもとで平和博物館、ならびに大学が抱える課題を参加者とともに確認し、それ打開する方策に向けた論点整理を試みたい。
市井吉興,2024,「【巻頭言】立命館大学国際平和ミュージアム第2期リニューアルを振り返る:これからの「対話」に向けて」平和教育センター『立命館大学国際平和ミュージアム』25, 3-8.
参考文献として掲載した拙稿(市井, 2024)をめぐって、2024年度より国際平和ミュージアムの運営に責任を持つ教員から、執行部会議において、私は執拗な「嫌がらせ」を受けた。氏は、リニューアルの過程で職員事務局の「不正」を取り上げて批判した拙稿を非難し、修正を求めるとともに、場合によっては掲載不可とすると会議の場で述べた。この執行部会議には、今次リニューアルの全容を十分に理解されていない新しい執行部の先生方も参加し、私の発言をサポートし、氏の「暴走」にも苦言を呈していただいた。ここの場を借りて、感謝を申し上げたい。最終的には、会議で出された修正点を反映させて拙稿は世に出ることとなったが、氏のやり方は悪辣と言わざるをえない。なお、この執行部会議には「職員事務局」のメンバーも参加していたが、氏の暴走を止めることは一切なかったことを付しておきたい。
このとき、氏は「このような内容が出ることは、国際平和ミュージアムに批判的な右派メディアの攻撃にミュージアムをさらすことになる。ミュージアムを守るためにも修正を要請する」とも述べた。しかし、国際平和ミュージアムを含む平和博物館への近年の攻撃は、右派メディアによる「館の展示は、自虐史観にまみれている」というものではなくなっている。拙稿は、平和博物館に向けられる攻撃を歴史修正主義的なものとして単純化せず、攻撃の特徴を新自由主義的な政策との関わりから把握する必要を提起している。この点をふまえると、氏の発言は内向き、つまり、新自由主義政策に同調する学園執行部への「忖度」としか言いようがなく、また、非常に質の悪い拙稿への「検閲」でしかない。
報告:石川洋行(明治学院大学)「地域社会と科学的知の生産を架橋する――社会人類学の視点から」
佐藤克春(大月短期大学)「環境リスク受容の手続的正当性」
司会:新井田智幸(東京経済大学)
報告:杉田真衣(東京都立大学)
池谷壽夫(元・了徳寺大学)
司会:丸山啓史(京都教育大学)
報告:片岡大右(慶応大学)
百木獏(関西大学)
司会:三崎和志(慈恵医大)
シンポジウム「戦争を原理的に否定する論理」/分科会「ケアを問う」「スポーツ振興と都市(再)開発を考えるー京都府立植物園・北山エリアの開発を事例として」「フランクフルト学派の現在」
シンポジウム「グローバル新自由主義の支配・統治構造の揺らぎと亀裂」/分科会「反新自由主義の教育運動・教育学」「新自由主義下の福祉政策の批判的検討」「社会的加速と実在論」
シンポジウム「コロナ禍における生と労働」/分科会「政策と科学」「地べたの政治学―民主主義をつくる技術(アート)」「現代実在論」