2020.06.05
唯物論研究協会(全国唯研)委員会
新型コロナウイルス感染症の不安が国民生活に重くのしかかるなか,国会では,「科学技術基本法等の一部を改正する法律案」(以下,「改正」案)の審議が行われている。「改正」案の骨子は,現行の科学技術基本法を「科学技術・イノベーション基本法」に改称し,法律の目的に「科学技術の振興」と「イノベーション創出の振興」とを併記し,さらに従来は除かれていた人文・社会科学を「振興」の対象に加えたことである。私たち唯物論研究協会は,「イノベーション」に著しく偏った今回の「改正」は,日本の学術研究の発展に大きな歪みをもたらし,国民生活の将来に深刻な悪影響を及ぼしかねないものと考える。
第一に指摘したいのは,「改正」案の全体が科学技術や学術の振興をあたかも「イノベーションの創出」に収斂させかねないものであり,しかも「イノベーション」の概念が技術革新によって「経済社会の大きな変化を創出する」という経済的な価値に特化していることである。これまで政府は科学技術基本法の下,5年毎に科学技術基本計画を策定してきたが,そこではすでに「改正」が先取りされてきた。現行の基本計画(2016~2020年)では,第4次産業革命を「社会実装」するという「Society 5.0 の実現」が目標に掲げられ,そのために「科学技術イノベーション」が安倍内閣の新たな成長戦略の「鍵」として位置づけられたことは,大学関係者には周知のことである。もとより科学技術によるイノベーションが経済的価値に資することを否定するものではない。ただし科学技術政策が経済的価値の創出に特化する誤りを,近年まで私たちはくり返し経験してきたのではなかったか。その歴史的教訓を忘れてはならない。
ところが第二に指摘しなければならないのは,「改正」案は「イノベーションの創出の振興」を「国の責務」とするだけでなく,「イノベーションの創出に資する」ことを「大学等の責務」とし,「実用化によるイノベーションの創出に努める」ことを「民間事業者の責務」としていることである。政府の科学技術・イノベーション政策の下,産学官が一体となって「イノベーションの創出」に取り組むべきことが法制化されることになる。これを政府は「イノベーション・エコシステム」と名づけている(「未来投資戦略2018」等)。産学官が一つの生態系のようにして「イノベーション創出」のサイクルを回してゆくイメージであろうか。その「中核」となることが「責務」とされる大学(とりわけ国立大学)は,「改正」後にこのサイクルを率先して回すことはできても,そのサイクルに囚われない自由な学術研究を推進することはほとんど不可能のように思える。
そして第三に指摘したいのは,人文・社会科学が「改正」案において「振興」の対象に加えられた問題である。現行の科学技術基本法では「人文科学のみに係るものを除く」として,人文・社会科学の多くは「振興」の対象から除外されてきた。これに対して除外規定の削除を求めてきた日本学術会議は,今回の「改正」案におおむね「歓迎」の意向を表明しているが,私たちはこの点についても「改正」案に反対である。「改正」後には,人文・社会科学においても「イノベーションの創出に資する」ことが「責務」となるからである。もとより一定の分野の人文・社会科学が「イノベーションの創出に資する」ことはいうまでもないが,一方,日本学術会議も述べているように,「現在の人間と社会のあり方を相対化し批判的に省察する,人文・社会科学の独自の役割」があることを忘れてはならない。「改正」案はこの「独自の役割」を「大学等」から遠ざけ,役割を担う人文・社会科学系の研究者を大学から排除することにもなりかねない。「人文・社会科学系の大学・大学院の廃止・転換」を求める文科省通知が出されたのは,つい最近のことなのである。
私たち唯物論研究協会は,1978年の創立以来,「唯物論の研究および現代の社会と文化に関する批判的研究の発展と交流」を目的として,自由と民主主義の発展を願って学術研究を進めてきた。今回の「改正」案は,私たちの学術研究への取り組みと願いに大きく反するものであり,ここに反対の意思を表明する。
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